ディスカバー・ニッケイ

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第12回 日本語訛について
学生の頃から「日系人はポルトガル語が下手だ」とよく聞いたものだ。 作文はもちろん、言うことも分かりにくい、言葉の発音が変で、とにかく日本語っぽいとか。 こういうことで、残念ながら退学する子もいた…

ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年10月5日


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それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その2
その1>>2.ブラジルの食生活と外国移民独立以前のブラジルの栽培作物は20種ほど数えられ、果物は比較的多様であったのに対し、野菜は極端に少なかった。こうした食生活に変化をもたらしたのが外国移民であっ…

三田 千代子 • 2011年10月4日


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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その6/9
その5>>(2)創作(その2)西茂樹(本名は西岡重幸)(1916‐1989)は太平洋戦争中、アメリカ政府によって捕虜交換要員として中南米諸国から合衆国へ強制移住させられた2,262人の日本人の中の1…

山本 岩夫 • 2011年9月30日


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第11回 あなたの名前は?
わたしの名前はラウラ。原語はラテン語、意味は「成功」。残念ながら日本語の名は持っていない。 しかし、大多数の同世代の人はブラジルの名前を持っていない。 日本語の名前だけの場合、学校でクラスメートにか…

ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年9月28日


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それはグローバルな旅の結果―ブラジルの栽培作物の変化と日本移民- その1
はじめに人類による植物栽培の歴史は、常にヒトの移動と生活文化の変容の記録ともいえる。新しい栽培植物は新しい地の住民に新たな食文化をもたらす。栽培植物の伝播には時間的にも空間的にも大きな広がりがみられ…

三田 千代子 • 2011年9月27日


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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その5/9
その4>>秋谷一郎(1909-)はクリスチャンの帰米二世である。サンフランシスコで生まれ、6歳のとき日本へ送られた。関西学院在学中、内村順也(内村鑑三の弟)、河上丈太郎(後に日本社会党委員長)、賀川…

山本 岩夫 • 2011年9月23日


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第10回 映画少女の夢
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ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年9月21日


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アメリカ東海岸唯一の文芸誌『NY文藝』―その4/9
その3>>3.『NY文藝』の内容(1)創作(その1)あべよしおと秋谷一郎は『NY文藝』の編集と発行に中心的な役割を果たしたが、彼らはまた創作においても重要な存在であった。したがって、まずこの2人の作…

山本 岩夫 • 2011年9月16日


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第9回 世の中はずいぶん変わったもんだ
母の好物はフェイジョアダで、父のはバカリョアダだった。三世のわたしは子どもの頃から「納豆」だった。 このことを言うのは今回が初めてだ。黙っているしかなかったことが、やっと言えるようになった。 …

ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2011年9月14日



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