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マンザナールよさらば: 次世代に語り継がれる映画のDVD化

タイムレス & タイムリー

今から70年ほど前、日系アメリカ人を乗せた最初のバスがマンザナールに到着しました。彼らはカリフォルニア沿岸部の家を追われ、第二次大戦が終わるまで鉄格子の中に収容されました。収容所を取り囲む見張り塔には武装兵たちの監視の姿がありました。12万人のアメリカ市民及び在住者は、「日系」であることを理由に強制的に収容され、その悲劇のひとこまは、米国史に影を落としています。この出来事は、多くの人に未だ知られていない事実であり、多くにとっては知りたくない事実であり、しかしながら、どの時代にも増して今、皆が知るべき事実なのです。全米日系人博物館が「マンザナールよさらば」をDVD化する意義はここにあります。

1976年、NBC(現在のNBCユニバーサルまたはNBCU)は、ジーン・ワカツキ・ヒューストンとジェームズ・D・ヒューストン原作(1973年)・脚本、ジョン・コーティ監督による「マンザナールよさらば」を放送しました。この映画は何年も前にカリフォルニア州内の学校や図書館にVHSで配布されましたが、DVD化され全米で一般に流通されるには至りませんでした。VCRやティーボなど家庭用ビデオ再生・録画機やインターネットが普及する以前の放送だったこともあり、映画音楽の複製許可は得られませんでした。さらに、版権の購入は商業的に成り立たないというのがNBCの考えでした。

しかしながら、映画「マンザナールよ、さらば」は人々に忘れられていたわけではありません。「映画の話をする時、皆さん夢が叶ったかのような様子で話しをするんです」と、博物館の販売・ビジターサービス部長のマリア・クァンは言います。彼女の元同僚アリサ・リンチは、1976年に映画を見て感動し、それ以来パークレンジャー(公園管理人)となることを決意し、後にマンザナール国定史跡の主任解説員となりました。

実際にクァンの背中を押したのは、博物館のミュージアムショップとマンザナー歴史協会への映画に関する問い合わせの多さでした。「昨年、私たち2つの機関は協力し、博物館とマンザナールの2か所で独占的にDVDを販売しようと、NBCUの説得に乗り出しました。何より世の中のためになる、ということを強調し、許可を願い出ることにしました。」

NBCUは、自社によるDVD制作には首を縦に振りませんでしたが、クァンは超大手マスメディアとの交渉に怯むことなく、5年間のライセンス契約にこぎつけました。契約の継続のためには、大量のDVDを販売しなければなりません。楽ではありませんが、不可能なことではありません。映画は、博物館やマンザナール、その他の第二次大戦中の収容所跡地への訪問者だけではなく、教育者や学生にも訴えかける内容です。

カリフォルニア州の一部公立高校の教育カリキュラムに組み込まれている書籍版「マンザナールよさらば」には、ある一家の物語を中心に描かれています。一方、映画版には、より幅広い日系アメリカ人の体験が2時間の枠内で描かれています。脚本化するにあたり、ワカツキ・ヒューストンさんは、「何が重要か決断しなければならなかった」と語ります。強制収容が引き起こした事実の全体像をより明白にするため、ワカツキ一家の体験を拡張して描きました。「暴動、国家に対する忠誠の宣誓、第442部隊について、本には書きませんでしたが、教育的目的で映画に盛り込みました」と彼女は言います。小説も映画も、人種差別、人権、法的権利に関わる問題を、力強く訴えかける内容です。

移民政策、レイシャル・プロファイリング、宗教的不寛容、差別に関わる議論が、いまだ人々の衝突を招いている中、「マンザナールよさらば」は、新たな視聴者を獲得するにふさわしい映画です。「DVD化で、より多くの人が映画を見られるようになるのは、本当に素晴らしいことだと思います。(強制収容について)幅広く世の中に伝えられれば、と思います。」と、ワカツキ・ヒューストンさんは語ります。

「マンザナールよさらば」のDVD発売の重要性を際立たせているのは、日系アメリカ人の強制収容体験が描かれた映画が希少であるという事実です。全米日系人博物館広報部長のクリス・コマイは、「35年前に『マンザナールよさらば』が初公開されて以降、アメリカ史のこのひとこまを、これ以上鮮明に描いた映画は出ていません。戦争や強制収容を取り上げたドキュメンタリーは多数制作されましたが、『マンザナールよさらば』程のものはありません。」と語ります。

映画の公開が、特に日系コミュニティにとって意義深いことは、当時も今も変わりません。コマイの説明によると、それは「全米の幅広い視聴者に向けられた、第二次大戦中の日系人強制立ち退きと収容を描いた初の映像だったから」です。この大作の制作にあたった脚本家や撮影監督、その他の重要な役割の担い手や制作スタッフのほとんどは日系人でした。「実は、ジョン・コーティ監督には、映像監督のヒロ・ナリタと作曲者のポール・チハラの採用について、そして、日系人に起こった出来事を、日系人が書き、日系人が演じたことについて、感謝しなければなりません。1976年にですよ。様々な意味でずいぶん先進的だったと思います。」

この映画の中心に据えられているテーマは、「タイムリー」、今の時代にあったものなのです。1942年、活気あった日系コミュニティが空っぽになり、住民たちが立ち退かされた後、その不当な出来事を検証するための心の準備に、日系の人々はどれくらいの時間を要したのでしょうか?それは、ジーン・ワカツキ・ヒューストンさん自身が、自らの記憶と向きあう準備ができるまでの時間と、恐らく同じだったのではないでしょうか?

強制収容所から解放された多くの日系人は、自身の体験を語りませんでした。自由や暮らしを失ったこと以上に特に日系人を絶望的に苦しめたのは、国家に対する不忠実の烙印だった、とワカツキ・ヒューストンさんは語ります。なぜなら、忠実であることは日系文化の要だったからです。

ワカツキ・ヒューストンさんの抑圧された記憶は、彼女が38歳の時に表面化しました。甥のマンザナールに関する質問に答えようとした時のことです。彼は「刑務所に入れられたことを何でもないことのように言っているけど、本当はどんな気持ちだったの?」と彼女に問いました。それまで誰も、当時の彼女がどう感じていたか、聞いてくれた人はいませんでした。彼女は、甥の前で泣き崩れました。過去のトラウマは消えていなかったのです。家族が読むための回想記を書くことも、精神的にとても辛いことでした。ワカツキ・ヒューストンさんは、夫であるジェームス・D・ヒューストンさんにさえマンザナールのことは伏せていたそうです。夫の反応は、「僕は君のことをこんなに長いこと知っているのに、君は1人でずっと抱えていたのか」というものでした。そして、「なんてことだ。それは君の家族にだけ向けて語られるべきことではないよ。全てのアメリカ人が知るべきだ。」と言ったそうです。ワカツキ・ヒューストンさんは、夫と共に「マンザナールよさらば」を執筆し、1973年、本が出版されました。

第二次大戦後30年が過ぎ、「マンザナールよさらば」が映画化された当時も、放映のタイミングは問題でした。「1976年当時のアメリカの視聴者に、この話を受け止められる準備があったか、甚だ疑問です。私たち日系社会も映画に居心地の悪さを感じました」と、コマイは記憶しています。そして、「博物館ボランティ向けの上映会を行った際も、初めて見たという人の多さに驚きました」と語っています。初めてこの映画を見る人は、古い映画の中に、古臭さを感じさせない最高のセンスを感じることができるでしょう。ワカツキ・ヒューストンさんは、「映像は、実際に50年代か40年代に撮られたように見えます。紛れもなくその時代の雰囲気が感じられます」とコメントしています。

DVD版「マンザナールよさらば」が、ミュージアムストアで初めて発売されることを記念し、10月23日午後2時から博物館で上映会が行われました。カリフォルニア州人権公教育基金(California Civil Liberties Public Education Program)の後援で行われたこのイベントは、映画「マンザナールよさらば」が、「日系アメリカ人の歴史と体験を、保存、解釈し人々と共有することで、アメリカ合衆国の人種的、文化的多様性への理解と敬意を促す」という博物館の使命に寄与したことを記念して開催されました。

最後にコマイは、「マンザナールよさらば」をこのように締めくくりました。「たくさんの人に一生に一度は必ず見てほしい映画の一つです。心に残る確かなものがこの映画にはあります。人々の日系アメリカ人や戦争に対する見方が変わるでしょう。それが、映画の持つ力です。」

ジーン・ワカツキ・ヒューストンさんのビデオインタビューを見る>>

ミュージアム・ショップからDVDを注文する>> (日本語字幕版も近日発売されます。)

© 2011 Japanese American National Museum

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このシリーズについて

1976年、ジーン・ワカツキ・ヒューストン原作によるテレビ映画「マンザナールよさらば」がアメリカのNBCで放映されました。テレビ放映後、ほとんど人の目に触れることのなくなったこの映画は、全米日系人博物館により、この度DVD化されることになりました。

3回に渡ってお届けするこのコラムシリーズでは、映画が製作された1976年、そして35年後の現代におけるコンテクストでその重要性を分析し、全米日系人博物館がどのような経緯で、そしてなぜDVD化に乗り出したかを探ります。

第1部では、原作者であるジーン・ワカツキ・ヒューストンさんや博物館スタッフのコメントを通し、DVD化に至るまでの努力の道程を紹介します。第2部は、ジョン・コーティ監督へのインタビューです。なぜ彼がこのプロジェクトに携わることにしたのか、なぜキャストやスタッフの大半に日系人を起用したのか、そして映画が後世に残すことについて、監督の考えを伺いました。第3部では、映画が役者へ与えた影響に注目します。