ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/10/27/nikkei-wo-megutte-38/

第38回 テレビ映画になったフロリダ移民

マイアミ・ビーチの須藤幸太郎

ノンフィクションの本を書いて、読者から感想などをしたためたお便りをいただくことは、新たな発見もあり嬉しいものだ。一昨年、出版社経由で、2015年に出版した「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)を読んだという91歳の女性から手紙をもらった。

「大和コロニー」は、アメリカ・フロリダ州南部に日露戦争後に入植した日本人がつくった日本人村(コロニー)の顛末と、入植者の一人で最後まで現地に残り、所有する広大な土地を地元に寄贈した森上助次(ジョージ・モリカミ)の人生を追ったノンフィクションである。この土地がもとで後に現地にモリカミミュージアムと日本庭園が生れた。

このなかで、大和コロニーだけでなく、フロリダ州に移住した他の日本人についても触れた。その一例が、南部マイアミビーチの発展に関わった日本人だった。マイアミ市とビスケーン湾を挟んで反対側に南北に細長くのびた砂州のようなマイアミビーチ市は、いまでこそ一大リゾート地だが、20世紀のはじめはただの原野だった。

ここでガーデナー(庭師)として働いたのが、田代重三氏と須藤幸太郎氏の二人だった。ともに神奈川県西部の出身で、最初にカリフォルニアにいた田代氏が新聞広告でマイアミビーチ開発にともない人材を募集しているのを知り応募したところ採用され1916年からマイアミビーチで働くようになり、つづいて当時サンフランシスコにいた須藤氏が、田代氏に誘われてやってきた。

二人については、「大和コロニー」で触れ、また、田代氏については、現地に田代氏の次男のジョー田代氏夫妻を訪ねたこともあり、10年前にディスカバーニッケイで詳しく書いた(初出はJBpress)。

マイアミ・ビーチの須藤マサさん。1948年9月

2年前手紙をくれたのは、須藤氏の姪にあたる山村登與子さんだった。手紙によれば、須藤氏の妻のマサさんが、山村さんの母親の姉、つまり伯母にあたるという。コロナ禍の最中、ネットでたまたま「須藤幸太郎」を検索したところ、拙著に行きあたった山村さんは、懐かしさのあまり筆をとったようだった。山村さんは、戦前・戦後を通して伯父、伯母と文通をしてきた仲で、1998年夏にはフロリダに行き、須藤夫妻の墓参りをしてきた、などと書いてあった。

須藤氏については、1961年に出版された「米國日系人百年史」のなかで、1ページをさいて紹介されているのは知っていた。この本は、アメリカ本土にわたった日本人の足跡を各州別にまとめた、とてつもないボリュームの本である。

同書によれば、須藤氏は、ニューヨークの土木業者、カール・フィッシャーが進めたマイアミ・ビーチの埋立・開発事業に、造園関係の仕事で携わった。その後植木園の経営に成功し、「1932年の不況時代には、市長カドゼンチン氏の要請を容れ、全市の路傍に草花を寄付して、『ストウ』の名は一躍有名になった」という。

1953年、須藤夫妻は在米50年余のアメリカでの生活を切りあげて、日本に帰ることにしたが、その際にはフロリダ州知事や合衆国上院議員、副大統領などから感謝状や表彰状が送られた。しかし、須藤夫妻は故郷を訪れるとその姿に幻滅し、再びフロリダへ戻ってきてしまった。

すると、そのニュースが全市に知らされ、出発時以上の大歓迎を受ける。そして新聞、雑誌でもこのことがとりあげられ、とうとうこれまでの須藤氏の人生が「須藤幸太郎物語」としてテレビ映画で全米に放送されることになった。

この米國日系人百年史にある須藤氏記事のコピーを同封して、私は山村さんに返事を書いた。その後手紙や電話でやりとりを重ねた末、このほど山村さんの住む茨城県取手市を訪ね、お話を聞くことになった。ひとり暮らしの山村さんは、娘のいる熊本市へ間もなく引っ越すことになったのでその前にお会いしようということになったのだ。

山村さんによれば、須藤氏は結婚相手を探すため日本に帰ってきて、山村さんの伯母のマサさんを迎え入れようとしたのだが、マサさんの親は当初反対。その時マサさんは親が認めてくれるまで家の蔵から出て来なかった。その後、アメリカに渡ったマサさんに対して、若いころ山村さんは、「学校を卒業したらアメリカに行きたい」と手紙で訴えた。これに対して、マサさんは「来たければ来てもいいが、来るなら成功するつもりで来なさい」と答えたという。

結局、山村さんがフロリダに行くことはなく、昭和28(1953)年にマサさんが帰国した時、送迎のため横浜港で会ったのが、伯母と対面した最後だった。「伯母はどうしてアメリカに行く決意をしたのか。それが聞けなかったのが残念です」。山村さんは今もそう思っている。


島田テル扮する須藤幸太郎

山村さんは、渡米した伯父や伯母が当時どんな思いだったのかについて、強い関心を示していて、テレビ映画についてもどのように描かれたのか興味を持っていた。私もできれば、そのテレビ映画がどんなものか知りたいと思っていたので、お会いする前にもう一度調べてみると、なんとYouTubeに上っていることが分かった。

きっかけは、日系アメリカ人の歴史に関するアーカイブである「Densho」というサイトだった。人物データベースの中にあった日系人俳優Teru Shimada(島田テル)についての説明の中にKotaro Sutoが出ていた。島田テルは、1905年茨城県の水戸市出身で、幼いころから映画に興味をもち1924年に渡米し俳優となった。代表的な作品に、ジェームズ・ボンドが登場する007シリーズの『007は二度死ぬ』(1967年)があり、ボンドの敵側の役のひとりとして登場する。

この島田テルが、1956年に須藤幸太郎の人生をドラマ化したテレビ映画に須藤役で出演した。そのことをDenshoでは、次のように説明している。

One significant role came in 1956 as the lead in a Du Pont Cavalcade Theatre program, "Call Home the Heart." The program told the real-life story of Kotaro Suto, an Issei gardener in Florida who did much of the planting and planning for Miami Beach.

([島田]は、1956年、デュポン・カヴァルケード・シアターによる『Call Home the Heart 』の主役として重要な役柄を演じた。フロリダ州マイアミ・ビーチの植栽と計画の多くを手がけた一世の庭師、須藤幸太郎の実話を描いた番組だった。)

この番組はデュポンが提供するDu Pont Cavalcade Theatre program, というシリーズのひとつで、須藤氏が主人公となった時のタイトルが“Call Home the Heart”だった。YouTubeにあげられている物語は、約30分ほどで、須藤氏はマイアミ・ビーチでカール・フィッシャーに雇われ、やがて信頼を得て事業を成功させる。マサさんと結婚しアメリカ社会にすっかり溶け込む。晩年は日本に帰るが、結局はアメリカに戻り大歓迎されるというストーリーだ。

描かれている須藤氏は、腰が低く誠実で、アメリカ人の雇い主に従順なところは、いかにもアメリカ人が評価する日本人像となっていて、今日ではやや違和感を覚えるが、山村さんに会った時、持参したノートPCでYouTubeのこの映像を見せると、山村さんは、マサさんがどんなふうに描かれているかを特に注意して見ていた。 

この物語の元になったのではないかとも思われる記事を、山村さんが保管していた。「リーダーズ・ダイジェスト」日本版の1954年8月号に掲載された「フロリダに帰り住んだ日本人園芸家」という翻訳記事で、須藤氏について詳しく書かれている。

山村さんは、いまもアメリカから伯母のマサさんが送ってきた写真や手紙を保管していて、それらを私に見せてくれた。写真のほとんどは、戦後間もないころマイアミ・ビーチで撮影されたと思われるしゃきっとしたワンピース姿のマサさんだった。このときまだ10代だった山村さんは、こうした写真を見て、自分もまたアメリカに行きたいと思ったのではないだろうか。

 

© 2023 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。

 

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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