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一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

第4回 一世への敬意と日本人としての誇り 

「加藤新一」で検索してみると

アメリカ本土への日系移民の足跡を取材し、「米國日系人百年史」にまとめた加藤新一が、全米を単独で車で走り回ったことはわかったが、詳しい旅の内容はこの本のあとがきではわからなかった。彼がほかに書いたものはないだろうか。そう考えてまずあたったのが、インターネットだ。

加藤新一という名前と「百年史」など関連する言葉をもとに、検索してみると、彼には「アメリカ移民百年史」という上中下3冊にわたる著作が別にあることがわかった。「百年史」出版の翌年の1962年に時事通信社から時事新書シリーズの一つとして出版されている。 

すでに絶版となって久しいこの新書は、大きな図書館や古書店にいくつかあることがわかったが、まずは国会図書館で現物にあたってみた。内容は「百年史」とほぼ同じだが、日本の大手の出版社だけに、短時間で仕上げた「百年史」より校閲や編集がしっかりしていて、一般の人が読みやすくなっている。

上巻の「はしがき」で、この新書発刊のいきさつなどが述べられていた。「百年史」のあとがきにはないようなこともある。これによると1500ページにも及ぶ「百年史」は、出版後「天皇陛下、皇太子殿下はじめ中央各官庁、都道府県庁、國県立大学、同図書館、おもな市役所、商工会議所、新聞社などに約七百冊が寄贈された」という。

さらに続けていう。

「しかし、いかにも大冊、かつ高価であり、部数にも限りがあるため、一般へゆき渡らせることは望めない。せっかく、日本民族海外発展の貴重な資料を右のような限られた一部だけにとどめるのは残念である——との時事通信社の長谷川才次社長および同社出版局の義侠的な好意により、前記『米国日系人百年史』を要約し、普及版として出版することになったのが本書である。当初一冊にまとめるべく努力したけれども、それでは縮めすぎてせっかくの出版価値が減るのをおそれ、時事通信社の大英断で総説『一般史』と各論『各州における日系人の発展』の二部三冊に分け出版されることになった。」。時事通信が「百年史」の価値を認めたことがわかる。


父に呼び寄せられ渡米

はしがきのなかで加藤は、自らの人生と重ね合わせながら、アメリカへの日本人移民が歩んだ苦難の道を、尊敬と誇りをもって振り返り、「百年史」をまとめるまでのいきさつを語っている。

「『棄民』と呼ばれ、ときには『メリケン・ジャップ』あるいは『在米日本人は内地人より二、三十年は時世に遅れている』といわれながら、アメリカの日本人は百年、すなわち一世紀の歴史をつくった。(中略)しかし、この『歴史』を省みようとする声は戦後ほとんど聞き得なかった。

一九一六年、私が中学に進んだばかりで父に呼び寄せられ、米本土を踏んだころの在米日本人は、すでに労働者時代から農業や商業の事業経営時代にはいり、初期のアメリカ西部開拓のフロンティア時代のさなかに、一世パイオニアたちが筆舌に絶する辛苦をなめ、うち続く排日を乗り越え……、(中略)『呼び寄せ青年』といわれたわれわれも、多かれ少なかれ『排日』を日々体験したのであった。」


戦後、排日はひどくなると思ったが……  

日系人はその苦労を乗り越え、二世は土地所有もできるようになり発展が見込まれた。しかしそこで日米開戦となり、強制立ち退きとなるなどさらなる悲境に泣かされた。加藤本人はどういう道をたどったのかというと——。

「開戦当時、ロサンゼルスの米国産業日報編集長だった私は直ちに抑留されたが、一九四二年の夏、第一次交換船で帰国、戦中戦後の最も困難な時代に内地で新聞人生活を体験、一九五三年再渡米し現在に及んでいる。帰国の動機の一つは、戦前の排斥体験から戦後はさらに排日がひどくなると考えたからであった。ところが、在日十余年で帰米してみると、右の判断は百パーセント誤っていた。アメリカにおける対日および対日本人感情は有史以来の好転ぶりを示し、在米日系人は戦中、戦後の逆境から立ち直り、戦前にもまして新発展の段階にあった。彼らはすでに移民でも棄民でもなく、『アメリカ国民』(一世もほとんどがアメリカ市民に帰化)として米土に根をおろし、戦前は西部だけであったのが、戦時立ちのきが逆に幸いしてほとんど全米のアメリカ人社会に溶け込み、また『戦争は最大の文化交流者である』との先哲の言をそのまま、日本調ブームといわれるほど日本趣味がアメリカ社会のあらゆる面に浸透しつつあるのに一驚した。」

このように、在米日本人の発展から改めて一世という先駆者たちへの尊敬と感謝の念を強くした加藤は、「新聞人のはしくれとしての一種の使命感から、すでに還暦をすぎた老体にむちうち『米国日系人百年史』編集に踏み切ったのであった。」と結ぶ。


10ヵ月、8万キロの旅

「百年史」のあとがきと同じように、本土取材について次のように簡単に触れている。

「『なにかにツかれた』というが、全くカリフォルニア州から行を起こし、華氏百度前後の酷暑のまっただなか、また零下十度前後の雪中突破など全米を回ってロサンゼルスに帰るまで十ヵ月、八万キロに及ぶ自動車による独走旅行を強行し、自分ながらよくやり通せた……」降り返っている。

あとがきでは、取材行程は「九ヵ月、四万マイル(六万四千キロ)」となっていたが、おそらく計算しなおしたら、「十ヵ月、八万キロ」だったのだろう。ただいずれにしても旅についてはこれ以上、詳しくは書かれてはいない。

(敬称略)

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© 2020 Ryusuke Kawai

hyakunenshi issei journalist Shinichi Kato United States

このシリーズについて

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。

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