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ニッケイ物語9—勝敗を超えて: ニッケイスポーツ

初代バンクーバー朝日の児玉選手と田端選手の家族の追加調査 ー その1

フルネーム解明の糸口となった初期のバンクーバー朝日選手写真(1915年)。名前が不明で記載されていない選手もいるが、現在はすべてのメンバーの名が明らかになっている。(左から右)《上段》福永周一、 宮崎伊八、浅井丈夫、福永金三郎 《中段》鈴木健四郎、児玉末吉、北川初次郎、的場仁市 《前列》古本忠義、近藤與左衛門、北川由太郎、田端賀一、嶋正一 (写真提供:Nikkei National Museum 1994.60.22)

カナダの伝説的野球チーム、バンクーバー朝日は、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にBC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、1941年に戦争が勃発しチームが解散してから既に60数年たっていたため、選手またはその家族と連絡が取れず、殿堂記念メダルの多くを引き渡すことができないままでいた。

2015年、バンクーバー朝日の最初の選手だった嶋正一を叔父に持つ私は、殿堂入り記念メダルの多くが未渡しの状態であると知り、初期バンクーバー朝日の松宮外次郎会長の孫で彦根在住の松宮哲とともに、当時まだメダルを受け取っていなかった約26名の選手・家族の調査を始めた。

その後、日本側では後藤紀夫(「バンクーバー朝日物語」の著者)、カナダ側では新朝日チーム1発起人の安藤恵美子など、多くの関係者の協力を得、また日系メディア「The Bulletin」 に本件が記事として取り上げられた事もあり、多数の選手家族と連絡を取ることができた。その結果、現在のところ、未渡しのメダルはあと6個にまで至っている。

消息不明の6選手家族の他に、Kodama及びTabataという初代のバンクーバー朝日選手についても私たちは調べていた。嶋正一のチームメイトでもあったこの2名の選手は、姓は知られていたものの、ファーストネームが不明だったため、殿堂入り登録されていなかった。彼らにも殿堂メダルを引き渡せたらと、私たちは両選手のフルネームと家族調査を並行して行った。結果、滋賀県出身の児玉末吉、及び三重県出身の田端賀一であることが分かり、無事殿堂メダルを引き渡すことができたのである。今回は、その経緯についてお話ししたいと思う。

児玉末吉(左)と田端賀一(1915年)(写真提供:Nikkei National Museum 2010.30.1.3.10.)

* * * * * 

児玉末吉の家族調査

児玉選手の家族調査には、松宮が尽力を尽くしてくれた。その時の経緯を彼は次のように話してくれた。

2018年秋、「大陸日報」を見ていると、児玉末吉に関する記事が目に留まった。ひょっとしてこの方は初期朝日の選手ではないかと思い、調べて見ることにしました。

児玉末吉は、滋賀県彦根市大薮町の出身であることが判明。早速、大薮町の證大寺に赴き、児玉末吉の遺族を調べて貰うべく、過去帳の調査を依頼しました。後日、住職が、過去帳には載っていないが、心当たりがある児玉姓の方が近所に居られるとして、児玉千代子さんを紹介してくれました。

2019年3月初め、私は住職と一緒に児玉さん宅を訪れました。児玉千代子さん宅は児玉家の本家で、児玉末吉は8人兄弟の次男だと教えてくれました。千代子さんは、児玉末吉の姪だったのです。

千代子さんは、児玉家の家系図をだし、児玉末吉の生年月日、死亡日、カナダ移民された経緯等を話してくれました。千代子さんによると、末吉は1908年父の呼び寄せで母と同行してカナダに渡りました。児玉家は堀善商店の堀善弥と親戚関係であったため同商店のパウエル街453に居留しました。ここはパウエル球場の前に位置し、オリジナル朝日の選手である北川3兄弟も同居していたそうです。

児玉末吉と妻マサ

末吉の子供は8人で、三女の高橋昭枝さんは90数歳で今もカナダに元気にしておられるとのことで、彼女の連絡先を教えて頂きました。

翌日、私は昭枝さんに電話し、話を聞きました。昭枝さんは「兄弟は多かったが皆亡くなってしまった。パパは若い頃野球をやっていてショートを守っていた。とても誇らしかったが、長くはやっていなかった」等々語られました。

2019年3月20日、新朝日チームが来日し彦根を訪問するにあたり、私は再び児玉家を訪れました。お話をしていると、千代子さんの妹の孫が野球をしているというので、急遽電話連絡してもらいました。その孫の名は、北川大賀君。彦根中央中学2年生で彦根リトルシニアに在籍し、近くカナダの人たちと野球をする計画があるとの事でした。オリジナル朝日の選手の子孫が、新朝日の選手と100年越しの縁で試合をする事になる訳です。私は何と偶然な出来事なのかと、深く思い至りました。

1916年の朝日チームメンバー。(左から右)《上段》浅井丈夫、福永周一、宮崎伊八、福永金三郎 《中段》近藤与左衛門、的場仁市、児玉末吉、北川初次郎、鈴木健四郎 《前列》田端賀一、古本忠義、堀居由太郎、嶋正一


田端賀一の家族調査

田端選手については、まずは簡単な家族構成が明らかになった。

田端賀一と息子のタカシ・ピーター

田端選手のフルネームは、田端賀一(たばた・かいち)。1942年のレモンクリーク強制収容所在留同胞人録には、田端賀一47歳、妻ノブ、娘カエ子(ケイコの誤植)8歳、タカシ2歳と記されていた。

その後、賀一の息子タカシ・ピーター(Takashi Peter)は、2016年3月13日オンタリオで亡くなっており、賀一の孫でタカシ・ピーターの娘トミ(Tomi)も2013年にオンタリオのバーリントンで亡くなっていたことが分かった。トミには、3名の姉妹、ジョディ・エンライト・田端(Jody Enright-Tabata、夫はロビン[Robin])、ロリ(Lori、結婚名不明)、シャリ(Shari、推定未婚)と、2人の娘、コートニー(Courtney)とダニエル(Danielle)がいることが分かった。

しかし、いずれも家族の連絡先は不明であった。そこで、本件に関する記事を、日系ナショナルミュージアムの「Nikkei Images」と全米日系人博物館による「ディスカバーニッケイ」に掲載(2018年10月)した。そして2019年4月6日、日系ナショナルミュージアムのリサ・ウエダ(Lisa Uyeda)から下記のメールを受け取った。

洋文さん

田端賀一選手の子孫をご紹介します。マシュー狩集(かりあつまり)、グレッグ狩集、ロベルタ狩集です。ロベルタ狩集は、田端ケイコの長女で、田端賀一の孫にあたります。賀一の呼称は、「かいち」であり、「がいち」ではありませんでした。

このニュースを喜んでお知らせすると共に、ご家族の方々をご紹介しますので、連絡をお取りください。そして、バンクーバー朝日の殿堂メダルなどに関する最新状況をお知らせください。

リサ・ウエダ

私は、早速、賀一の娘ケイコの孫で、賀一の曾孫にあたるマシュー狩集に連絡を取ると、下記の返信があった。

2019年4月10日

洋文さんからご連絡をいただき、深甚です。私どもは、洋文さんが書かれた記事を拝読しました。今までの家族探求の大いなる努力に対し、ここに感謝を述べはさせていただきます。

(バンクーバー朝日の歴史は)私どもの家族の歴史を学ぶにあたり、大いなる意味づけを加えるものであり、また、ブリティッシュ・コロンビア州の日系人の歴史に連動するものです。

田端賀一と娘のケイコ

田端ケイコは、田端賀一の娘です。ロベルタ・マクドナルド、デビークレーバン、グレッグ・狩集は、皆3名とも、田端ケイコ及び夫のチェスター狩集との間の子供達です。

一方、マシュー狩集(小生)、スティーブン狩集、カティー狩集は、グレッグ狩集と妻のジャニス狩集との間の子供です。つまり、私ども3名は田端賀一の曾孫にあたります。実際、ロベルタ・マクドナルド及びグレッグ狩集は、20年間近く、賀一と一緒に住んでいました。

よろしければ、電話なりで、洋文さんとお話をできればと思っていますので、ご都合をお聞かせください。その際には、バンクーバー朝日と田端選手の関係に関するお話を聞かせてください。どうぞよろしくお願い申しあげます。

マシュー狩集

その後マシューからは、下記の写真と手紙が送られてきた。

ヨシ狩集からマシューの父へ送られた手紙と写真。写真には、上西功一選手とチェスター狩集が一緒に写っている。  

ケイコの夫の故チェスター狩集は野球を愛していました。下記の手紙はチェスター狩集の弟のヨシ狩集から彼の甥(私の父)に送られてきたものです。写真(1946-1947)に、二人で写っているのは、最後の朝日選手上西功一とチェスター狩集で、彼らは、リルエット収容所にて一緒に野球をしていた仲間です。

また、その後のやり取りでは、下記のようなメールもマシューから受け取った。

...私の祖母の田端ケイコは、生存している賀一の唯一の子供です。彼女は両親賀一・のぶ夫妻とは、寡婦となった1961年から1981年までの間一緒に生活をしていましたが、賀一は、その間に、老人ホームに入りました。しかし、賀一はケイコの元婚家であった狩集家族の全員とは、変わらずの良好な関係を保持していました。

私は、トロントに住んでいます。他の家族メンバーは、田端ケイコをはじめ、皆、オンタリオのバーリントンに住んでいます。... 

また、私はケイ子の姓について気になったので聞いてみると、「田端ケイコはチェスター狩集と結婚するが、チェスターが亡くなり、その後ワゴナーと結婚するが、再び元の田端姓に戻った」と教えてくれた。


児玉選手と田端選手の家族へ殿堂メダル授与

田端賀一の娘ケイコと児玉末吉の娘高橋昭枝が存命で、連絡先が判明したので、私はBC州スポーツ殿堂へ連絡を入れた。殿堂の窓口担当の学芸員ジェーソン・ベックによると、児玉末吉および田端賀一の家族に対して、既にメダルが授与されたかどうかの記録が残っていないため、殿堂入り記念メダルを授与できるかどうか不明とのことであった。

しかし、この2選手、そもそも長年の間フルネームが不明だったため殿堂入り登録されていなかったので、本人または家族へ殿堂メダルの引き渡しが行われたとは考えられなかった。念のため、マシュー狩集と高橋昭枝に、その点を問い合わせてみた。

2019年4月12日
殿堂のジェーソン・ベックさんのメールを見せていただき、ありがとうございました。

田端ケイコの家族は誰も殿堂メダルを受け取っていないことを確認しました。殿堂と連絡をとっていただき、更に私どもができることがあればおっしゃってください。...

マシュー狩集

以上の情報を踏まえ、殿堂は田端賀一にメダル授与を最終決定した。後日、田端ケイコにしかるべくメダルが送付された。

殿堂メダルを首に掛けた田端ケイ子と息子のグレッグ(マシュー狩集の父)

さらに、児玉末吉の娘、高橋昭枝も殿堂メダルを受け取ってないことが確認されたので、のちに殿堂メダルが送付された。

(敬称略)

続く >>

注釈

1.新朝日チームは、バンクーバー朝日チーム結成100周年を記念し結成されたバンクーバーの少年野球チーム。

 

© 2020 Yobun Shima

星 7 個

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このシリーズについて

新型コロナウイルスの世界的大流行に伴い、2020年東京五輪などの主要なスポーツの大会が中止または延期となり、私たちは今、スポーツを生で楽しむことができません。今回のニッケイ物語では、みなさんからニッケイのスポーツにまつわるストーリーを募集します。お気に入りのスポーツについて思いをめぐらせ、その思い出を共有することで、この困難な時期に私たちは一つとなり、心を癒すことができるでしょう。

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