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「生きていればまたやり直せる」:パラダイス山火事で被災した小島さん夫妻

レッドブラフで新たにオープンした小島さん夫妻の日本食レストラン「Ikkyu Japanese Restaurant」の外観。(写真提供:小島智代さん)

新たな地で日本食レストラン再開

「深い暗闇の中に突き落とされたような気分だった。でも振り返っていても仕方がない。生きていればまたやり直せる―」。昨年11月8日にカリフォルニア州北部ビュート郡の町パラダイスで発生した山火事「キャンプファイア(Camp Fire)」。全米最悪規模となったこの山火事で被災した小島智代さん、成朗さん夫妻は、住居と所有していたレンタルハウス、そして経営していた日本食レストランすべてを失った。避難生活を送るなか心機一転、今年3月5日には現在暮らすレッドブラフでレストランを再開。山火事から半年が経過した今、小島さんに山火事後の生活とレストランを再開するまでの経緯を聞いた。

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山火事が発生した昨年11月8日午前7時半ころのパラダイスの様子。煙が山を取り囲むように広がっているのが分かる。小島さん夫妻は隣町のオロビルに避難できるまでおよそ9時間半この山の中にいた。(写真提供:小島智代さん)

キャンプファイアは発生から瞬く間に火の手が広がり、11月25日に鎮火が発表されるまでおよそ15万3千エーカー以上を燃え尽くし、犠牲者は85人にのぼった。被災直後、羅府新報のインタビューに応えてくれた小島さん夫妻は現在、パラダイスからおよそ60マイル北上した場所にあるレッドブラフという小さな町で新たな生活を始めている。

山火事発生後、小島さん夫妻はパラダイスの南西に位置する町ウィリアムズのモーテルで15日間生活。その後はトレーラーハウスを購入し、レッドブラフのRVパークで避難生活を送っていた。

火事のおよそ一カ月後、住民に24時間だけパラダイスに戻れる許可が出た時、小島さん夫妻はかつての自宅へと向かった。思い出の物が出てくるのかと思い足を踏み入れたが目にしたのは無惨にも灰だけだった。「何も残っていませんでした。想像はできていたので悲しいというより『やっぱりな』という思いだけでした」

自宅まで向かう道中、目印だった建物もすべて燃え、どこで曲がるのかも分からないほど町には何も残されていなかった。

その後、智代さんは日本から訪ねて来た成朗さんの母を連れ再びパラダイスへと向かった。しかし道中で急に激しい動悸に襲われ、目の前が真っ白になり運転ができなくなってしまった。「自分の中では大丈夫だと思っていたのに、その時からパラダイスには『恐くてもう行けない』と思ってしまったのです」

人の気配がないところで信号だけが赤と緑に変わる町―。いつかパラダイスに戻りたいと願っていた智代さんだったが、町自体が燃えて消えてしまった様子を目の当たりにし、もうもとのパラダイスではないのだと愕然とした。

パラダイスは現在水質汚染が深刻化。飲み水はもちろん、沸かしても水道水は使用できず、シャワーも使えない。水が使用できないため家が残っていた人でも帰れない状況が続いている。「レストランをまた開けようと思っても、水の問題があるので、いつオープンできるか分からない。早く復旧してほしいが、実際に山火事後の町の様子を見ると時間がかかることは一目瞭然でした」と智代さん。

「『恐い』という思いがあったら住めません。隣の家が燃え、火がわが家にきて、ショッピングセンターに避難した時、『ああ、もうここでみんな死ぬのかな』と思いました。その恐怖が今も残る中、戻るのは難しい」。パラダイス近郊を通るたび智代さんは「もうここに帰ることはないのかな」と思うという。

住民の中には他州に移った人も多い。こうして当時あったパラダイスのコミュニティーはばらばらになった。

現在小島さん夫妻が住むレッドブラフはパラダイスから車で北上して1時間ほどの場所。トレーラーハウスを購入し、レッドブラフに住み始め3週間ほど経った時、「ここで頑張ってみようかな」という気持ちが芽生えた。レッドブラフの人口はおよそ1万4千人。素朴な町で気に入り、保険も支給されたので家を見つけて購入し、昨年12月19日に引越しを済ませた。

レッドブラフで新たにオープンした小島さん夫妻の日本食レストラン「Ikkyu Japanese Restaurant」の外観。(写真提供:小島智代さん)

近郊の町チコやオロビルあたりは避難してきた人が集中し、その影響から現在チコは住宅価格が上昇。レッドブラフにもパラダイスからの避難民は多いという。
 
小島さん夫妻はその後着々と準備を進め、引越しの翌週にはレストランの物件を見つけ、大安の今年3月5日、新たな地でレストラン「Ikkyu Japanese Restaurant」を再開した。店名もメニューもパラダイス時代からそのままだ。

レッドブラフで新たにオープンした小島さん夫妻の日本食レストラン「Ikkyu Japanese Restaurant」。(写真提供:小島智代さん)

11席、40人ほどが入る店で、客の半数はパラダイスからの客だという。レッドブラフに日本食レストランはほかになく、地元の客も温かく迎えてくれているようだ。

毎年作る店のオリジナルTシャツには今年、「Ikkyu Strong」の文字を加えた。(写真提供:小島智代さん)
「もし自分が怠け者だったら店などやらず保険金で生活していたかもしれない。でもやっぱり『昭和の日本人』はそれに頼らない。創業当時からの従業員もずっと待っていてくれた。『働いていたほうがいいね』と夫婦で話しました」。現在従業員5人と夫妻2人の7人で店を切り盛りしている。
 
着の身着のまま、命からがら避難し、手探りで前進してきた6カ月。今でも風の強い日は夜中に目が覚めてしまうこともあるという。「生きているだけラッキーでした。生きていればまたやり直せる。悲しんでいても仕方がない。お店を再開して人に会うようになってからまた元気を取り戻せました。今やっと笑えるようになった。今度はレッドブラフの人々にも愛される店にしていきたい」と智代さんは力を込めた。

今年3月2日にオープニング・パーティーを開いた時の小島さん夫妻。夫妻の30年来の親友の野木さん(左端)もセントラル・コーストから駆けつけた。(写真提供:小島智代さん)

 

*本稿は、「羅府新報」(2019年5月9日)からの転載です。

 

© 2019 Junko Yoshida, © 2019 The Rafu Shimpo

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