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1990年渡米、ハリウッドで活躍するヘアメイク、松本安芸子さん

「日本で経験積んでから渡米」が正解だった

「オー! ルーシー」がノミネートされたカンヌ映画祭で

2018年3月にアメリカで、4月には日本で公開の日米合作映画「オー・ルーシー!」に参加したヘアメイクの松本安芸子さんキャリアは34年、在米歴は27年になる。

バスケットボールと陸上競技が得意だった安芸子さんだが、もともと抱えていた膝の故障が原因でアスリートになる夢は断念し、東京都内の山野美容専門学校に進学した。1980年代当時、美容師は人々の憧れの職業だった。

卒業後は舞台俳優のヘアメイクに携わる会社に入社、新人時代からスターのメイクを担当するようになった。「最初はヘアメイク、ウイッグ、ヒゲが主な担当でしたが、『オペラ座の怪人』のメイクに強く惹かれて、特殊メイクもやりたいと思うようになりました」。ところが特殊メイクの部署への異動を上司に掛け合ったものの却下されてしまった。「ならば、本場のハリウッドに行ってゼロから勉強しよう」と決断し、1990年に当初は半年の予定で渡米。「今と違ってインターネットが(身近に)ない時代でしたから、情報をほとんど得られないままやってきました。英語に関しても、浅はかにもホームステイすれば喋れるようになる、って思っていたんですよ(苦笑)」

ところが現実はそうはいかなかった。まずは英語学校に入学。だが、英語は半年では思うように上達しなかった。しかし、『英語が十分でなくてもメイクスクールに行くしかない』と安芸子さんは入学を決行。そこで、コネクションをつかみ、初めは主に日本のコマーシャル撮影に声が掛かりヘアメイクのアシスタントとしてスタートを切った。その後、グリーンカードを取得し、ユニオンにも加入、口コミによる紹介でハリウッドでの仕事は途絶えることなく今に至っている。関わった作品数は映画だけで70本を超す。日本で経験を積んでから渡米したことが自分にとっての基盤になったと安芸子さんは言う。

しかし、英語には今でも苦労しているそうだ。「現場でのたわいのない会話でも、昔のテレビ番組や政治経済などの難しい話題になると静かになってしまいますね」。

前述のように仕事は紹介で次々に舞い込む。それでも、紹介を受けてから過去の作品を持参し面接の段階を踏む。採用の決め手は「技術や経験以外に監督やプロデューサーとのケミストリー」だと語る。ヘアメイクの方針は監督の意向通りに決まる。

「ある作品では(役者は)全員ノーメイクと監督からの指示があり、その作品では特殊メイクと汗を拭くというのが私の主な仕事でした。その事を伝えると泣き出す女優さんもいましたね。俳優さんにそれを納得していただくために、間に立つのが私の仕事でもありました」

スピークアウトしない日本人・日米で異なる仕事のスタイル

「通常役者さんとは長時間、間近で過ごすので、雰囲気作りも大切です」。技術だけでなく気遣いも重要なのだ。

役者とのやり取りに関しては次のようなエピソードを披露してくれた。「コマーシャルの仕事だったんですが、ある女優さんが結構、自分の髪型にこだわる方で、なかなか本人の納得しなかったのですが、最終的には本人と監督の納得の上撮影は無事終了しました。そうしたら翌日、その女優さんから『あなたは絶対諦めなかった。私のためにたくさんの時間を使ってくれてどうもありがとう。私の髪の毛をセットしている時のあなたの表情がとても素敵でした』という感謝のテキストメッセージが届きました。「ありがとう、と言ってもらえると、どんなに大変な仕事でもやっていてよかったと思えます」。

そのような経験から安芸子さんは「一見、うるさく感じる人はこだわりがありポリシーをしっかり持っているのではっきりと口に出してしまうだけ。実際はいい人が多くやりがいを感じますね」という。現在、安芸子さんはサンフェルナンドバレーの一軒家に愛猫と一緒に暮らしている。市民権のステップを踏むことなくグリーンカードのままなのは、いつかは日本に帰る心算があるからだ。「鍵は日本食ですね。リタイヤしたら、日本に帰りたいです。撮影の現場ではケータリングで100%アメリカのご飯。日本食も出してくれたらいいのに、家では和食、外食する時も和食か、妥協してアジア系の料理です。それにここは運転しないとどこにも行けない社会ですから」。

日本食以外に自分が日本人だと実感するのはどんな時だろう。「アメリカ人の常識とは違う、と感じさせられたことがありました。ある映画で、監督との打ち合わせを事前済ませていたので、最初のミーティングで私は全然発言しなかったんです。撮影初日、一段落ついたところでプロデューサーが私に謝ってきたんです。どういうことかと言うと、ミーティングで黙っていた私を見て『バカだと思った』しかし、4、5人のアシスタントと猛スピードで現場を回す私を見て、すごい! と考えを改めたと言うんです。確かに、スピークアウトしないのが日本人の悪い癖ですよね。しかし、それを機会に私はできるだけミーティングの場で発言するようになりました」。今ではその事を伝えてくれたプロデューサーに感謝していると語る。

また、最近関わった平柳敦子監督「オー! ルーシー」について次のように振り返る。「日米合作映画で日本とアメリカでの半々の撮影でした。日本では多くの大御所キャスト・クルーの方々も参加していた作品です。2017年カンヌ国際映画祭では批評家週間にノミネート。皆さんのご配慮でその際カンヌ映画祭に寺島しのぶさんのメイク担当で同行させていただきました。また2018年のインデペンデント・スピリットアワードでは主演の寺島しのぶさんがノミネートされました。アメリカの撮影現場ではてんやわんやの撮影でしたけれど、このような大きな映画祭にノミネートされる作品に関わらせて頂けたことにとても感謝しています。撮影の習慣やスタイルも大きく違う日本とアメリカですけれど、自分のアイデンティティーを忘れることなく今後もチャレンジしていきたいと思っています」。

「オー!ルーシー」の撮影現場で。寺島しのぶさんや南果歩さんとともに。  


アメリカは「技術の向上」と「ストレス解放」をくれた

また、仕事以外に、安芸子さんはボランティアで後進の育成と、東日本大震災への寄付金集めの活動にも力を入れている。「ビザもなくユニオンに入ってない人たちを私がアシスタントとして雇うことはできません。だから、私がスーパーバイザーとしてボランティアで参加する日本人の舞台作品などでは、現場での仕事は実際に若い人たちに任せています。震災に関しては、2011年から毎年3月に仲間と一緒に開催しているガレージセールの売り上げを寄付しています」。

最後に「アメリカはあなたに何をくれましたか?」という質問をした。「白人、黒人、スパニッシュと様々な人種が集まるこの場所で、それぞれの皮膚のタイプ、習慣、文化を学ぶことができて技術的に非常に向上できたと思います。また、アメリカではストレスからも解放されるようになりました。日本では働いているか、寝ているかの繰り返し。ここアメリカでは仕事以外のフリータイムもエンジョイするようになりましたね」。フルーツの木が植えられた居心地のいいバックヤードで、安芸子さんは朗らかな表情でそう答えた。

参照:

オー!ルーシー」公式サイト

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 安芸子さんがこの夏ヘアメイクのスーパーバイザーを務める舞台作品
「BURAI II – THE SWORDS OF SORROW. THE TALE OF A SAMURAI GHOST」
2018年7月6日~22日
Edgemar Center for the Arts, Santa Monica, California

詳細はこちら >>

 

© 2018 Keiko Fukuda

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