大学進学を勧められて (英語)

家族構成(英語) 12歳で1930年のフォードを運転(英語) 4C-敵性外国人-に分類(英語) イナハラ・シャント(英語) 大学進学を勧められて (英語) 和菓子職人だった父 (英語) 自己アイデンティティは日本人の子孫 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 私たち一家はオレゴン州東部に移り住むための旅行許可証を申請し、許可証を手に入れることができました。その後2年間、オレゴンで農場を経営し、経済的に充分安定するようになった頃、弟のヨシが大学に進むことになりました。ヨシがミシガン大学に入学したのは、私たちがオレゴンに移住した数年後のことです。私も大学に戻りたいと思っていたので、1944年、ウィスコンシン大学に願書を送りました。でも実際は、農場を出ることにためらいを感じていました。農場の仕事に責任を感じていたからです。たまねぎの収穫が間近に迫っていましたし、その後にはじゃがいも、テンサイ、と収穫期が続いていたのです。農場を出ることが良い選択だとは、どうしても思えなかったのです。結局父に説得され、学校が始まる一週間前に私は家を出ました。スーツケースを1つだけ抱えて、オンタリオからシカゴ、マディソンと電車を乗り継いで行ったことを覚えています。私の所持品は、全てそのスーツケースの中にありました。

日付: 2005年12月6日
場所: 米国、オレゴン州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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