ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/729/

日本の太鼓とは違う日系太鼓 (英語)

(英語) ある時、田中先生がロサンゼルスに来て、緊那羅(きんなら)太鼓の練習に参加したいと言ってきたのですが、これは僕らにとって一大事でした。今では確かメイシーズ(デパート)か何かになっていると思うんですが、ブロードウェイのデパートで行われたアジアか日本をテーマにした販売プロモーションのイベントに来ていたんです。それで私たちのところにも寄ることになったんです。田中先生は、緊那羅太鼓の練習を見たいということだったんですが、当時僕らは1年中練習していた訳ではなくて、お盆の時期に合わせて、主に夏に練習していたんですよ。彼が来たのは冬だったのかもしれません。田中先生が見ている中で、僕らのグループにいた若い男の子が、スケートボードに乗ってやって来て、ガムを噛みながら、演奏を始めたんです。それで、僕らも演奏に加わったわけです。 でもそれは、伝統的な太鼓を考えると、ちょっとまずいですよね。でも僕らにすれば、「彼だって演奏したいんだから、好きなようにやらせよう」というような感じだったんです。当時、その子は僕の家に泊まっていたんで、ちょっと指導がまずかったかなと思ってますけど。

ケニー・エンドウも、サンフランシスコに引っ越すまで緊那羅太鼓で演奏していたのですが、サンフランシスコにいて、田中先生のところで練習し、一緒に演奏していたんです。 田中先生が練習を見に来た時、(ケニーと)練習場の片隅で何かいろいろ議論していたみたいでした。その翌日、ケニーがやって来て、僕のところに来て、こう言うんです。「じつは、先生から頼まれたんだけど・・・」って、すごく遠慮がちに、ずいぶん遠まわし言うんですね。「先生は、緊那羅太鼓のグループに、『太鼓』という言葉を使わないようにしてもらえるかどうか聞いてほしいみたいだ。」なんて言うんです。僕は、「えっ、なんで」と言ったら、彼は、「君らは本来の太鼓の演奏じゃないし、どうも太鼓自体に対する敬意もなさそうだ。君らが演奏しているのは本来の太鼓とは違うよ。それに樽をつかって演奏している、日本の伝統的なリズムとはちがうよ。日本的なところが全然無い。」って言うんです。それを聞いて、僕は、「えっ、何だって。これが太鼓じゃないって。何年もこれが太鼓だと思ってやってきたのに。」という感じでしたね。

それで、僕はみんなが練習している所に行って、「田中先生がね、僕らのを『太鼓』と呼ばないでほしいと言ってきたんだ。僕らのやっているのは太鼓じゃないし、だいたいからしてガムを噛んだり、ゲラゲラ笑ったり、太鼓に対する敬意もなく、ただふざけながら演奏してるって感じで真面目さが無い、と言われた」と伝えました。 それで、僕らは言われたことについて、よく考えてみましたよ。でも、「ちょっと待てよ。洗心寺院のみんなは、これを太鼓だと信じてやっているじゃないか」という考えに行き着いたのです。みんな自分たちの太鼓に誇りを持っていました。それから何年か経ってからですが、田中先生たちはようやく僕らの太鼓を受け入れてくれて、今では僕らが各地で演奏してきたことを誇りに思っているようです。 僕らは結構上手くなってきてると思っています。 そのうち、ある日突然、「そうだ、僕らは伝統的な日本の太鼓をやってる訳じゃないんだ。僕らがやってるのは日系アメリカ人の太鼓なんだ」と思うことができるようになったんです。日系アメリカ人仏教徒の太鼓、ということですかね。それは、僕らがやっていたことをうまく反映していたと思いますね。自分たちがやろうとしていることに音楽に名前を付けることが出来たことは、僕らの力にもなりました。


ドラム 緊那羅太鼓 太鼓

日付: 2004年10月15日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョン・ユキオ“ジョニー”・モリ氏はロサンゼルス出身の音楽家、芸術家、教育者兼役員です。

1949年11月30日、日系一世の父と日系二世の母の間に生まれ、若い頃は、活動家、徴兵反対者であり、1970年代のアジア系アメリカ人運動ではかなり問題を起こした人物でした。更に(同時期)、ロサンゼルスのリトル東京でアメラジア・ブックストアを経営していました。この書店は、共同書籍販売を行うだけでなく、コミュニティの集会や、政治活動、パフォーミング・アートを行う場でもありました。そして2003年に引退するまで、ジャズ・フージョンバンドHIROSHIMAのパーカッショニスト(打楽器・和太鼓奏者)として世界各国を周りました。

モリ氏は、全米初の日系アメリカ人太鼓グループの1つである緊那羅(きんなら)太鼓の主要メンバーであり、過去20年間に渡り、太鼓や日系アメリカ人文化を、小学校から大学の生徒までの幅広い層に、ワークショップを通じて教えてきました。現在は、ロサンゼルスの日米文化会館(JACCC)でパフォーミング・アートのプロデューサーを務めています。(2007年6月13日)

田中誠一

桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカで太鼓を始めた理由(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

緊那羅太鼓との出会い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

太鼓とはっぴ(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

タイア道場(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

伝統的太鼓スタイル(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

開拓精神へ捧げる(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

田中誠一

夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

マサオ・コダニ

太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

田中先生と緊那羅太鼓の「太鼓」に対する考え方の違い(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

和太鼓へのアメリカの影響(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

緊那羅太鼓の太鼓へのアプローチへ感謝(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。

マサオ・コダニ

日系アメリカ人の庭師ダンス(英語)

ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。