インタビュー
先見と明と幸運でロス・ガトスに転居(英語)
(英語)私たちはアメリカ市民なので、いずれ戻れることを父は知っていました。父は自動車を保管し、たくさんの私物を郵便局に預けていました。父が解放されると、両親は車などを引き取りにサリナスへ行きました。そして車を走らせ、住む場所を見つけました。父にはとても簡単なことでした。不動産を買うお金がありましたから。
ロス・ガトスへの転居に関する話ですが、もともと父はサンノゼに家を買うつもりでしたが、見つけることができず、サンノゼからロス・ガトスに向かいました。姉がロス・ガトスのことを知っていたからです。その道中、”売り家”の表示を目にした父は、寄るだけ寄ってみようと考え、農家に車を乗り付けました。最初に父の目に入ったのは、イタリア人の農家、ビクター・ジャナンドレオでした。ビクター・ジャナンドレオは父を見るなりすぐに地下に案内しました。地下にはベニート・ムッソリーニの大きくて立派な肖像があり、相手は味方だと父は気付きました。二人は地下で酒を飲み、父はロス・ガトスの農場を手に入れました。
ビクター・ジャナンドレオはあまり英語が話せませんでした。私たちがロス・ガトスに住むようになった経緯はお話しした通りですが、ビクター・ジャナンドレオには亡くなった甥がいました。甥を住まわせるつもりで建てた家でしたが、亡くなってしまったのです。彼は悲しみに打ちひしがれていましたが、農家を父に売ることができ、とても喜んでいました。
日付: 2018年3月22日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター