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日本人社会とデトロイト現地社会をつなぐ元駐在員、大光敬史さん

2017年11月、デトロイト美術館常設の日本ギャラリーの開所を祝い、日本文化を2日にわたって紹介するイベント、ジャパンカルチュラルデイズで。

アメリカの自動車産業の中心地、ミシガン州デトロイト地域には、駐在員を中心に一大日本人コミュニティが形成されている。ここに日本人コミュニティと地元社会をつなげるため日本文化を紹介する活動に従事している元駐在員がいる。大光敬史さんだ。

アイシン精機出身の大光さんは1979年にデトロイトに赴任、主に技術開発と研究所の運営に携わった後、2018年6月の引退後も帰国せず、現地に残る道を選択した。できる限り長くアメリカで暮らし続けたいと語る大光さんは、2016年に創設されたJapan Cultural Development(以下JCD)という団体の主幹として活動を牽引する立場だ。JCDは、デトロイト日本商工会(JBSD)から派生した団体。自動車産業の衰退と同時に廃れた街の復興に日系企業が役立とうと、デトロイト美術館(DIA)を舞台に、伝統芸能や工芸をはじめとする日本文化を披露、時にデトロイトの地域住民に実体験してもらう催しを企画、運営している。

2018年6月、JCDとJBSDがDIAと共催したシンポジュームの特別講演とご自身の研究活動として三笠宮彬子女王をデトロイトに迎えた。


米メーカーが日本を敵視していた1970年代末にデトロイト赴任

名古屋工業大学の学生時代に「英語は勉強しておいたほうがいいだろう」という動機で、ESS(英会話クラブ)に所属していたという大光さん。東海地区の大学生を対象に実施された短期留学プログラムに応募して選ばれ、夏休みにユタ州を皮切りに全米各地を巡った。その時の印象を「いい思い出になりました。行くならアメリカだという思いが強くなりました」と振り返る。就職して5年後にデトロイトへの赴任が実現した。しかし、当時のアメリカの自動車産業は、上り坂の日本車に対する敵対心がむき出しで、地元社会のムードは「歓迎」とは程遠かったという。

それでも、当時の豐田稔会長の掛け声のもと、「新しい技術を生み出す」ために、大光さんはその後活動の場を移しウィスコンシン大学のアンドリュー・フランク教授と共同で自動車に応用できるハイブリッド技術の研究に取り組んだ。1985年にカリフォルニア大学デービス校に教授が移ると大光さんも一緒に移動。86年には日本に一旦戻り、5年後にアメリカに戻ってきた時には、ミシガン州アナーバー市に開設された研究所の所長に就任、2018年の引退までその研究所の責任者を務めた。アメリカで過ごしたこれまでの期間は35年の長きにわたる。

では、大光さんにとってアメリカで働く醍醐味とは一体何だったかと聞くと「この国には優秀な人材が世界中から集まってきます。非常に理想的な環境です」と即答した。そして、日本で普通に会社員をやっていたら巡り会えないような人とも一緒に仕事ができること。例えば、前のミシガン州知事、リック・シュナイダー氏は20年来の知己であり、前出のフランク教授はプラグイン式ハイブリッドの基本特許を取得している人物だと教えてくれた。「また昨年ノーベル物理学賞をとった(ジェラール・)ムル先生とは、先生がミシガン大学の教授であった頃から何年も協業してきました」とも振り返る。

物事に真面目に取り組む姿勢で日本人は信頼される

「研究所の運営というものは、研究という名の下でお金を無駄にする部署と思われており、いくら良い技術ができてもそれがお金を稼ぐようにするのは至難の技です。ただ、世界に冠たる技術を得た限り、なんとか万人に役に立つようにしたいという思いは強かったです。だからこそ継続させることが至難の技です。そこで様々な人と繋がりながらサポートを得ることで、20何年間も、壁にぶつかりながらもなんとか続けることができ事業にまで持ち込むことができました。やればできる、という手応えを得ました」

アメリカで働く上で日本人の強みについて聞くと、大光さんは「物事に真面目に取り組む姿勢ですね。私自身、そうだと思いますし、自動車メーカーの人も部品メーカーの人でも、きっちりとやります。だから信頼されます。アメリカの中でも確固としたポジションを獲得することができるのです」と答えた。

そして、40年前、大光さんの目に映った「日本を敵対視するアメリカのメーカー」の姿勢も今では大きく変化した。「クライスラーがフィアットのグループになるなど、いろんなことがあったにせよ、仕事は回っていくものですから、彼らは立派にリカバーしました。世界競争の中で自信をつけたのです。今や、アメリカの自動車メーカーが日本の部品メーカーのお客さんになってくれる時代で、互いにパートナーという関係です。品質と価格が適正であれば使う、そういうことです」。

大光さん夫婦には子どもが二人。日本で生まれ、1歳半で海を渡ってきた長女は「どちらかというとアメリカ人的」、アメリカ生まれの長男は「どちらかというと日本人的」だというが、ともにバイリンガルで日本でもアメリカでも支障なく生活できる術を身につけている。日本語を諦めないように家庭でしつけてきたのでは、と質問すると、大光さんは「それは妻の努力によるところが大きいです。補習校には通わず、すべて家で子どもたちに日本語を教えていました」とパートナーの貢献を称えた。

これまで、忙しく働いてきた時間とエネルギーを、今度はJCDという奉仕活動に注いでいく大光さん。その活動は、長年アメリカで働き、暮らし、地元社会から受けた支援に対する還元であると同時に、未来に続く親善関係への投資でもある。目下の課題は「活動に協力してくれるボランティア集め」だということだ。
 

JCDウェブサイト(日本語英語

 

© 2019 Keiko Fukuda

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