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アマゾンの日系社会

第7回 アメリカ人青年、74年の歳月を経て再びトメアスーへ

ジョルダン・ヤングさんのサイン入りボールと調査をまとめた本(乙幡敬一会長写真提供)

「一昨日、すごいことがあったんです!戦時中にトメアスーへ来たアメリカ人が、野球ボールを持って来てくれたんです!」・・・そう興奮しながら話すのはパラー州のトメアスー文化協会の乙幡敬一会長。「野球ボール?」と聞くと、「映画になるような、感動的な話」とニコニコしながら話し始めた。

1942年、サンパウロの大学に留学していたアメリカ人ジョルダン・ヤングさんは、第2次世界大戦が始まったことを知り、帰国手続きを始めていた。船便の順番待ちをしていたときに、大使館から依頼された、ロックフェラー財団によるブラジルの労働条件の調査の仕事でいくつかの地方を回り、最後にアマゾン地方の調査のためトメアスー日本人入植地へ向かった。

敵国である日本からすでに多くの人が移住していた日本人入植地へ行くのは、とても怖かったと言う。そして、硬い表情をして待ち構えていた日本人の中には、小銃を持っている人もいたようで、ジョルダンさんの緊張はさらに高まったそうだ。

しかし、訪問の目的を知った日本人たちは調査に非常に協力的で、日が経つごとに緊張も和らいでいった。そして、両国で盛んなスポーツである野球が共通の話題となり、お互いの距離はさらに近づいていった。

数日間の滞在の後、サンパウロへ引き返すことになった彼に、ある日本人が「ここには野球ボールが少ししかない。なんとか調達してもらえないだろうか」と依頼。ジョルダンさんは快く承諾し、1945年に帰国の途についた。

あれから74年、日々の生活に追われ約束が果たせないままだったが、このことを一度も忘れたことはなかったと言うジョルダンさん。今回、ブラジルの大学に留学している孫娘と、サンパウロで僧侶をしている甥とともにトメアスーへもう一度やって来て、長年の思いをようやく果たすことができた。

ジョルダン・ヤングさん(左)と山田元さん(右)(乙幡敬一会長写真提供)  

95歳になるジョルダンさんは、「ここまで来るのは身体的に大変ではあったが、どうしても約束を守りたかった」とのこと、第1回アマゾン移民の山田元(はじめ)さんにボールを手渡し、感慨無量の面持ちだった。

これを記念して、お寺では記念法要が催され、関係者一同、今回の再会とボール寄贈の喜び、そして感謝の気持ちをジョルダンさんに伝えたという。

「アメリカ人とトメアスーの日本人の交流が戦争中にあったなんて、本当に驚いた。そして、山田さんを含め誰一人知らなかったことを、ジョルダンさんが覚えてくれていたことはとてもうれしい。これはトメアスー日本人移住史に残る重要なこと。決して忘れてはいけないし、後世に語り継いでいかなければいけない」と言う乙幡会長。

国と国との争いの中で人と人はつながりを持ち、74年という年月を経てもそれが途切れることはなかった。

トメアスーの地に届けられた白い野球ボールが、その証と言えるだろう。だれも知らなかった歴史の一片は、ボールとともにトメアスーの日本人たちの心に残っていくことだろう。

ジョルダン・ヤングさん(前列中)、孫娘マルガレッテ・ヤングさん(前列右から2人目)、甥グスタボ・ピントさん(2列目中)、他トメアスー関係者。留安山トメアスー西本願寺の前で。(乙幡敬一会長写真提供)

【参考記事】

『サンパウロ新聞』2016年6月15日(堤剛太ベレン支局長)

 

© 2016 Asako Sakamoto

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About this series

ボランティアの目から見たアマゾンの日系社会について、一世、日系人、日系社会、文化、日本語、いろいろな角度から語るジャーナル。日々の活動を通して感じたこと、日系社会の歴史と現状、等々をお伝えします。