Select a primary language to get the most out of our Journal pages:
English 日本語 Español Português

We have made a lot of improvements to our Journal section pages. Please send your feedback to editor@DiscoverNikkei.org!

日本の着物文化を世界に発信: コスチュームデザイナー/ファッションスタイリスト/着付け師 押元末子さん ~ その1

着物にダイナミックなアレンジ:ミス・ユニバースの衣装をデザイン

写真を見せられた時、目が釘付けになった。オレンジと黄色、ブルーで彩られた艶やかな振り袖をまとい、肩越しに巨大な扇子を背負っているアジア人の女性。明らかに日本の伝統的な着物姿ではないが、一切の品格を失うことなく、同時に強烈な存在感を放っている。

それは、コスチュームデザイナーの押元末子さんが2013年のミス・ユニバース・ジャパンのためにデザインしたコスチュームの写真だった。

2013年ミス・ユニバース・ジャパンのためにデザインした衣装

「2010年にページェントの仕事として初めて、アメリカでミス・アジアのスタイリングを手がけた時は、日本の伝統的な振り袖を着せました。とても豪華で綺麗な振り袖でした。でも、審査員にまったく振り向いてもらえなかったのです。ショックでしたね。それからはいかにステージで映えるか、という点に集中して、和も洋も取り入れたデザインを心がけています。着物本来の美というものはやはり日本人には通じても、アメリカ人に見せるためにはそれだけでは十分ではないのです」

アメリカ人には、着物にダイナミックなアレンジを施したスタイリングやデザインでアピールしなければならないのだとすぐに理解した押元さんは、最初に触れた2013年のミス・ユニバース・ジャパンの大胆な衣装で、ミス・ユニバース世界大会ではコスチューム部門5位入賞の快挙を果たした。

「教え子が待っている」LAにラスべガスから通った日々

現在、ページェント、ファッション雑誌、テレビ、映画、コマーシャルからミュージックビデオと幅広い分野で「着物」を武器にハリウッドで自在に活躍中の押元さんだが、アメリカでの業界デビューは遅咲きだった。しかも故郷の沖縄を離れ渡米したのは38歳の時だったと振り返る。

「20代の頃からアメリカに何度か来てはいましたが、本格的に移って来たのは38歳の時でした。それまでは沖縄で、『私の人生はこのままでいいのだろうか』とずっと将来の可能性について思いを巡らせていたのです。アメリカにはサンディエゴに知り合いが、ラスベガスに親戚がいました。そのつてを頼って、1999年のクリスマスをサンディエゴで過ごした後、27日にべガスに移動しました。すると当時開業したばかりのベラージオでの仕事があると紹介されたのです。ホステスの仕事だったのですが、ホステスは未経験でも、お客様を相手にする、カスタマーサービスには自信がありました。沖縄でパートナーと一緒に保険会社を経営していたことがあり、私がお世話をすると、そのお客様が私を指名して新しいお客様を紹介してくださることがよくありました。その数は自分でも驚くほどでした」

ベラージオでの仕事は好調で、ラスベガスに家も購入し、押元さんは安定した生活を送っていた。しかし、彼女の中にもともとあった「好きな着物を、生活の中心にしたい」という気持ちが次第に大きくなっていった。

山野流の着付け指導者としてアメリカに国家資格保持者を大勢誕生させた押元さん

押元さんは20代の時に山野流着装を習い始め、1992年に初代山野愛子氏より最初の国家資格としての着付け師免許を取得した。さらに、保険のビジネスと並行して沖縄の美容専門学校で講師を務めるなど、着付けの指導に長年従事してきた。ラスベガス移住後には、当地を訪れた二代目のジェーン山野愛子氏に会う機会があり、ラスベガスとロサンゼルスで着付け教室を開講する運びとなった。

「ラスベガスから車を運転してロサンゼルスに通っていました。当時のロサンゼルスには着付けの資格を取得できるように指導してくれる講師がいないと聞き、それなら(資格取得の指導ができる)私が通わなければと責任感を感じました。最初のうちは2週間に1度の往復でしたが、その頻度が次第に増えて、週に2度往復するようになりました。渋滞さえなければ片道5、6時間の距離でも、交通状況によっては9時間ということもありました。それでも車に乗ると、モードが完全にロサンゼルスに切り替わりましたね。寝ないで夜中に運転して朝から教室ということも珍しくありませんでした。生徒が待っている、と思うと、絶対に休むわけにはいかなかったのです」

 「私の中に完璧という評価はない」 常にさらに上をめざす姿勢

 熱心な指導の結果、ロサンゼルスには50人の日本国家資格を取得した着付けの指導者が誕生した。「現在50人の内、孫弟子は10人。さらに多くの人に、着物の文化を広げていきたいと思います」

こうして数年はラスベガスから「遠距離通勤」をしていた押元さんだが、遂に「ライフスタイルが好き」だというラスベガスでの生活に見切りをつけ、軸足をロサンゼルスに移す時がきた。2010年、押元さんは、寺内健太郎さんとのパートナーシップでカリフォルニアにSuehiro Kimono Agencyを設立したのだ。着物の美しさを世界に発信するというミッションの下、エンターテインメントの本場で活動を開始したわけだが、その足がかりにもなったのが、2008年に手がけたファッション誌、ヴォーグジャパンのハイファッションのスタイリングの仕事だった。

「フランス人のカメラマンのカミーラとスタイリストのシシーは、以前にフランスで着物をモチーフにした撮影を行った時、ある人にスタイリングを依頼したが伝統の着付けしかできず、フランス流のアレンジにするのが非常に難しかったという経験を話してくれました。私は伝統の着付けももちろん問題ありませんが、シシーさんの『クラシックはいらない』というリクエストに応えて、フランス風なアレンジに努めました」

ちょうどパリコレが終了した直後で、パリコレに使用されたプラダやディオールのファッションアイテムと着物を組み合わせることで、実にアバンギャルドでファッショナブルなグラビアが完成した。クラシックもアレンジも着物のスタイリングにかけては絶対の自信を持っている押元さんだが、完璧だと思ったことは一度もないという。

「今までの仕事でクライアントからクレームを受けたことは一度もありません。でも私の中では完璧でもないのです。常にもっと上を、もっと素晴らしいものをという気持ちで取り組んでいます」

スタイリングを担当した2008年のヴォーグジャパンのグラビア  

その2 >>

 

Suehiro Kimono Agency: http://suehiro-kimono.com/

Suekoブランドオフィシャルサイト: http://sueko.co

 

© 2014 Keiko Fukuda

designer fashion kimono Sueko Oshimoto