海を渡った日本の教育
ブラジリア大学の根川幸男氏によるディスカバー日系コラム第2弾。「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポート。
このシリーズのストーリー
第4回 小林美登利と聖州義塾
2009年2月5日 • 根川 幸男
吉田松陰の松下村塾、福沢諭吉の慶応義塾、弘前の東奥義塾などの例を引くまでもなく、日本の歴史は連綿たる私塾教育の伝統を持っている。大阪大学医 学部の前身が緒方洪庵の適塾ということを考えると、官立学校もまた私塾の伝統の上に創られてきたことは否定できない。彼らこそ、日本的教育文化の一つの源 と言ってよいであろう。実際、ほぼすべてのブラジル日系教育機関も小規模な私立学校、すなわち私塾として出発した。 前回述べたように、「コロニア一の学校」として教師や設備の質を誇った大正小学校でさえ…
第3回 大正小学校(2)
2009年1月1日 • 根川 幸男
「大正小学校(1)」を読む>> 大正小学校をはじめ、戦前のブラジル日系教育機関の最盛期は1930年代である。コンデの坂下からサン・ジョアキン通りに移転した大正小学校は、次第に学校としての機能を充実させていった。 信濃海外協会(1922年創立)は1928年頃から長野師範学校卒業生をブラジルに留学させていた(二木, 1996, p.142)が、1933~34年には、柳沢秋雄、坂田忠夫、二木秀人の3人が現地の師範学校留学を命じられた。これは、ブラジル正規教員の資格を取ら せ、…