ディスカバー・ニッケイ

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海を渡った日本の教育


2008年9月18日 - 2011年8月30日

ブラジリア大学の根川幸男氏によるディスカバー日系コラム第2弾。「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポート。



このシリーズのストーリー

第4回 小林美登利と聖州義塾

2009年2月5日 • 根川 幸男

吉田松陰の松下村塾、福沢諭吉の慶応義塾、弘前の東奥義塾などの例を引くまでもなく、日本の歴史は連綿たる私塾教育の伝統を持っている。大阪大学医 学部の前身が緒方洪庵の適塾ということを考えると、官立学校もまた私塾の伝統の上に創られてきたことは否定できない。彼らこそ、日本的教育文化の一つの源 と言ってよいであろう。実際、ほぼすべてのブラジル日系教育機関も小規模な私立学校、すなわち私塾として出発した。 前回述べたように、「コロニア一の学校」として教師や設備の質を誇った大正小学校でさえ…

第3回 大正小学校(2)

2009年1月1日 • 根川 幸男

「大正小学校(1)」を読む>> 大正小学校をはじめ、戦前のブラジル日系教育機関の最盛期は1930年代である。コンデの坂下からサン・ジョアキン通りに移転した大正小学校は、次第に学校としての機能を充実させていった。 信濃海外協会(1922年創立)は1928年頃から長野師範学校卒業生をブラジルに留学させていた(二木, 1996, p.142)が、1933~34年には、柳沢秋雄、坂田忠夫、二木秀人の3人が現地の師範学校留学を命じられた。これは、ブラジル正規教員の資格を取ら せ、…

第2回 大正小学校 (1)

2008年12月5日 • 根川 幸男

坂の多いサンパウロの中心部に、ブラジルの日本人にとって特別な坂がある。 「おいジャポネース(日本人)、気をつけなよ。この辺りはドロボーばっかりだよ」   汗をふきふきその急坂を上り下りしていると、中年の男が声をかけて通り過ぎていった。昼間でもこの辺りは物騒である。「こんなところで日本人がウロウロしていると危ないよ」と、親切で言ってくれているのはわかるが、私はよっぽどその男の背中に、声をかけ返そうかと思った。 「この辺りは昔ジャポネース(日本人)…

第1回 はじめに

2008年9月18日 • 根川 幸男

私たち人間の生活において、教育はもっとも基本的な営みの一つである。教育する/教育されるという行為は、衣食住とともに、人間生活に深く結びつい ていると言える。それゆえ、地域や集団によって、ことばや文化を異にするように、教育にもまたさまざまな様式・地域性が生み出されてきた。 教育が人間生活の基本的な営みであるかぎり、教育は人間の移動とともに旅をする。グローバル化とローカル化が同時進行する世界において、人間の活動 は一国・一地域で完結するのではなく、さまざまな国や地域をまたぐ越境…

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このシリーズの執筆者

1963年大阪府生まれ。サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部大学院修了。博士(学術)(総合研究大学院大学)。移植民史・海事史・文化研究専攻。ブラジリア大学文学部准教授を経て、現在、国際日本文化研究センター特定研究員。同志社大学、滋賀県立大学などで兼任講師。主要著書:『「海」復刻版』1〜14巻(柏書房、2018、監修・解説)、『ブラジル日系移民の教育史』(みすず書房,2016)、『越境と連動の日系移民教育史——複数文化体験の視座』(ミネルヴァ書房、2016。井上章一との共編著)、Cinquentenario da Presenca Nipo-Brasileira em Brasilia.(FEANBRA、2008、共著)

(2023年1月 更新)