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海を渡った日本の教育

第1回 はじめに

私たち人間の生活において、教育はもっとも基本的な営みの一つである。教育する/教育されるという行為は、衣食住とともに、人間生活に深く結びつい ていると言える。それゆえ、地域や集団によって、ことばや文化を異にするように、教育にもまたさまざまな様式・地域性が生み出されてきた。

教育が人間生活の基本的な営みであるかぎり、教育は人間の移動とともに旅をする。グローバル化とローカル化が同時進行する世界において、人間の活動 は一国・一地域で完結するのではなく、さまざまな国や地域をまたぐ越境的な営みとなる。教育もまたそういった越境性を持つ人間の営みであり、その主体の文 化的特性が顕著に現われる活動の一つである。ここでは、それぞれの集団・地域の教育のシステムや様式、それを支える文化的特性などを「教育文化」と呼ぼ う。

日本人の近代的な海外移民は明治維新とともにはじまる。北海道、台湾、朝鮮、満州、南洋といった旧日本帝国の版図やハワイ、北米、中南米、オセアニ アなどに移民がひろがっていくとともに、日本的な教育文化もまた、それらの国・地域に越境、拡大していった。それらの地で、日本的な教育文化は、時には受 容され、時には摩擦を起こし、変容し、多様化していった。

日本的教育文化の越境についての研究では、近年さまざまな成果が上がっているが、ハワイ、北米、旧植民地を対象としたものが多く、中南米地域を対象 としたものはまだまだ未開拓である。日系教育機関の果たした役割やホスト社会での影響についての研究も同様な傾向にあると言える。

ブラジルでは、今年2008年の「日本移民百周年」を迎えて、「日本文化」がますますそのプレゼンスを高めている。在ブラジル日系人は約150万 人、在日ブラジル人は約30万人と言われ、ブラジルと日本をまたがる各地で両文化が拡散し再創される傾向が見て取れる。その反面、教育の現場では文化や習 慣の相違から、さまざまな問題が持ち上がっているのも事実である。ある「文化」の越境や再創、展開を考える場合、教育とそれをめぐる文化的特性はそのもっ とも重要なトピックとなろう。

ブラジルの場合、第二次大戦直前、いわゆる日本学校は500に近い校数を数えたが、それらはウチには日系各コミュニティの統合機関として機能し、ソ トには「日本文化」の集団的表象と文化運動の主体としての役割を担い、戦時中は当局の弾圧の対象にもなった。例えば、天長節をはじめとする四大節や運動会 は、当時のブラジル日系コミュニティ統合のための重要行事であり、しばしば日本学校などの教育機関を会場として開催された。武道や野球、陸上競技などの課 外活動もさかんに行なわれ、これらの活動を通じて、日本語の継承と「伝統的」な文化や価値観の浸透が図られていた。

またその反面、ブラジルの日系教育機関においては、ポルトガル語教育やブラジル人教師の雇用も早くから行われ、日系人のブラジル社会への「同化」や 「適応」を推進する機関としての性格も有していた。戦後、日系ブラジル人のアイデンティティやサブグループ形成にもはかりしれない影響力をもち、その影響 は今日まで続いていると言える。

本連載では、以上のような状況をふまえて、「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポートしたい。すなわち、日本的教育文化の越境・再創・展開の実態と歴史的背景、現代への流れをタテ糸と し、大正小学校や聖州義塾、聖フランシスコ学園など各日系教育機関での教育実践をヨコ糸として、日本と新世界を行き来した人びとの物語をのびやかに織りな していきたいと思っている。そしてそれは、ブラジルという異郷の近現代史と日本常民の近現代史が交錯した世界史の一部を構成する物語へとつながっていくは ずである。

*本稿の無断転載・複製を禁じます。引用の際はお知らせください。editor@discovernikkei.org

© 2008 Sachio Negawa

Brazil education

このシリーズについて

ブラジリア大学の根川幸男氏によるディスカバー日系コラム第2弾。「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポート。