海を渡った日本の教育

ブラジリア大学の根川幸男氏によるディスカバー日系コラム第2弾。「日本文化」の海外展開、特に中南米での事例として、世界最大の日系社会を有するブラジルの戦前・戦中期 から現在にいたる日本的教育文化の流れと実態をレポート。

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第15回 おわりに

約一年半の在外研究期間を日本で過ごし、久しぶりにブラジルに戻ってきた。1996年、筆者がブラジル渡航後に身を寄せた古巣であるサンパウロ人文科学研究所(通称「人文研」)で、この稿を起こしている。「ブラジル最古の日系教育機関」と言われるのはサンパウロ市の大正小学校だが、その校舎の跡地に現在のブラジル日本文化協会ビルが建ち、わが人文研は、そのビルの三階にある。

今回は一ヶ月あまりの調査で、サンパウロ市から、州内陸部のトゥッパン、アラサツーバ、アリアンサ、プレジデンテ・プルデンテ、アルバレス・マシャード、州境を越えて北パラナのロンドリーナを周り、サンパウロに戻ってきた。ロンドリーナからサンパウロのコンゴーニアス空港までは飛行機で1時間足らず ...

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番外編1-フィリピン・ダバオ

「ミンダナオの山の中でね、いきなりその人にばったり出会って、「私はアイノコです」なんて日本語で言うんだもん。びっくりしちゃったよ」
 
フィリピン・ダバオ在住の日本人実業家のYA氏は、Aさんという一人のフィリピン日系人との突然の出会いをそう語る。当時はジャーナリストで、ミンダナオ島山岳部に出没する新人民軍(NPA)などゲリラの活動を追っていた。YA氏は、その時はじめてフィリピン日系人なるものの存在を知ったという。

ダバオは、ミンダナオ島にあるフィリピン共和国第三の都市。フィリピン南部の政治・経済の中心であり、周辺のリゾート地へ向かう観光基地でもある。20世紀のはじめ、太田恭三郎に率いられた日本人移民労働者たちがここに入り、アバカ(マニラ麻)栽培を発展させた。太平洋戦争直前の1940年には ...

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第14回 洋上小学校

戦前期から戦後期にかけて、海に囲まれた日本から外国への移民は、ほとんどすべてが海上輸送に拠っていた。移民船は海外渡航の主役であり、移民の誰もが船内生活を経験したものだった。

「洋上小学校」(船内小学校)は、移民船内で開校された小学校である。ブラジル移民は、家族移住が主であったので、主婦である女性や子どもたちが多く含まれ、航海中の賑わいや華やぎをあたえていた。洋上小学校は、小学校学齢期の子どもたちを対象とするものであり、航海日数のとりわけ長かったブラジル移民にもっとも多くの例が見られた。日本からブラジル、ブラジルから日本という、両国を往還した子どもたちの教育機会や日本的教育の連続性を考える場合、洋上小学校の存在は軽く扱うことはできない。

山田廸生氏の『船にみる日本人移民史-笠戸丸からクルーズ客船へ-』(1998)は ...

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第13回 御真影・教育勅語・修身

戦前ブラジルの日系移民子弟教育の理念は、臣民教育、忠君愛国的教育であったとよく言われる1。では、臣民教育、忠君愛国的教育とはいかなるものであろうか。それは、御真影をいただき、教育勅語の精神を体得する「臣民」、すなわち天皇に対する忠誠心と愛国心を持つ「真の日本人」になることであったといえよう。

サンパウロの日本移民史料館に復元されている移民の掘建て家屋内には、天皇皇后両陛下の御真影が飾られ、異国に来ていかに苦労しようとも皇室への尊崇を忘れない日本人の健気さや忠君愛国の精神が表象されている。しかし、こうした御真影がどのようにブラジルに渡り、日系移民一般に普及したのかは、実はそれほど明らかではない。今回は、御真影や教育勅語、修身教育のブラジルへの移植・普及をめぐって ...

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第12回 日系実業学校

ブラジルには実にさまざまな日系教育機関が存在したが、1930年代に農業学校や商業学校などいくつかの実業学校が設立されたことが確認できる。以前紹介したものの中では、日伯実科女学校やサンパウロ裁縫女学院など(本連載第56回参照)のほかに、レジストロ補修学校(本連載第9回参照)がそれに当たる。同校は別名「農業補修学校」と呼ばれ、日本語、ブラジル地理などの一般教養とともに農業技術など実業科目があった。サンパウロ州内陸部では、1938年には、ソロカバナ鉄道沿線のプルジデンテ・プルデンテ日本人会が、従来の小学校に加えて、プルジデンテ・プルデンテ商業学校を設立している(日本移民80年史編纂委員会, 1991 ...

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