ディスカバー・ニッケイ

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自分のルーツとの再会
これを言うのは難しいです。この光景が沖縄のすべての家庭で繰り返されたかどうかはわかりません。父は日本語とウチナーグチ(沖縄の方言)を話し、母は何かを理解するだけで、家に放っておくと勉強できませんでし…

ロベルト・オオシロ・テルヤ • 2017年9月25日


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日本を去った若者たち―21世紀における日本人の海外移住事情
日本政府主導による日本人の海外移住は1973年の春、最後の移民船、ブラジルを目指したにっぽん丸が横浜を出港して以来、その波が途絶えたとされますが、その後も、留学や国際結婚、就業などを理由に、海外に移…

郷 崇倫 • 2017年6月30日


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ロサンゼルスを拠点に 世界のウチナーンチュをつなぐ 当銘由洋さん
沖縄の米軍基地内で食のイベント企画 ロサンゼルスで沖縄を含む日本からの食品輸入事業に携わる当銘由洋さんに初めて会ったのは、2005年頃だったと思う。日本語雑誌「TV FAN」の発行人、竹内浩一さん…

福田 恵子 • 2017年4月7日


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北の蘭 - パート 5
パート4を読む>>ここでも、芳子の個人的な話から少し離れて、太平洋戦争終結時の日中関係を振り返ってみましょう。なぜでしょう? ルーズベルト大統領が「永遠に記憶に残る不名誉な日」と呼んだ …

エドワード・モレノ • 2017年2月21日


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北の蘭 - パート 3
パート2を読む>>これまでの各章で、私たちは若きヨシコが周囲の現実の政治世界を少しだけ体験するのを見てきました。窓から目撃した中国人の盗賊の殺害、炭鉱の放火に対する復讐として町全体が虐殺…

エドワード・モレノ • 2017年2月6日


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北の蘭 - パート 2
パート 1 を読む >> 「奉天は私の夢の城でした」と、前の章でヨシコが言っていましたが、彼女がそう感じたのにはさまざまな理由がありました。瀋陽(西洋人には奉天)としても知られる奉天は…

エドワード・モレノ • 2017年1月30日


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北の蘭 - パート 1
導入悲劇的な真珠湾攻撃から75年を迎える今、現在「歴史の定説」として扱われている日本に関する誤った情報をすべて払拭すべき時だと思いませんか?歴史マニアの私にとって、最もあからさまな誤解の一つは、日本…

エドワード・モレノ • 2017年1月23日



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ガイジン
学校の休暇中、私は友人のエミリアをサントスの祖母の家に招待しました。私と違いエミリアは日本語が話せるので、祖母とどんな話をするのか楽しみでした。 しかし、祖母と話し始めると、エミリアは私を呼んで「…

エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ • 2016年10月6日



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