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第14回 日系新聞の記者となる
中部カリフォルニアで父を手伝い農業に従事した加藤は、父が日本に戻るとひとりロサンゼルス近郊のパサデナに出て造園業をつく。しかし、まもなく日系新聞の記者となった。ジャーナリズムに長年携わる彼の原点であ…
川井 龍介 • 2021年6月11日
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1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん
渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」
清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、199…
福田 恵子 • 2021年6月2日
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滞米40年後の京都暮らし — ラナ・ソーファーさん
日米を往復するきっかけは米国の政治情勢の変化
ラナ・マリコ・ソーファーさんが渡米したのは1975年。ラナさんは、ロサンゼルスを拠点に主に機内上映の映画の字幕、さらには吹替の制作に長年携わってき…
福田 恵子 • 2021年5月17日
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西洋メディアが私の自信を奪い、BTSを通じてそれを取り戻した方法
私は、ドイツ人の父から受け継いだと思われる白人的特徴を強調し、母方の日本人的側面を忘れるよう、少し宗教的なやり方で遺伝子に懇願するたびに、遺伝子が哀れみの視線を向けてくるのを想像していた。私が望んで…
エルキ・フォスター • 2021年4月29日
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「十分に公平」とはどの程度公平なのか?ウェストブルック・ペグラーと日系アメリカ人 - パート 2
パート 1 を読む >> 1943 年 5 月 4 日、日系アメリカ人に関する 2 本のコラムが出版されてから数日後 (エレノア ルーズベルトが同じ収容所を視察してから 2 週間も経たな…
グレッグ・ロビンソン +1 • 2021年2月12日
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「十分に公平」とはどの程度公平なのか?ウェストブルック・ペグラーと日系アメリカ人 - パート 1
1945年3月28日、マンザナー・フリー・プレス紙は日系アメリカ人に関する注目すべき記事を掲載した。コレマツ対合衆国訴訟における米国最高裁判所の判決について論じる中で、その記事は有名(かつ悪名高い)…
グレッグ・ロビンソン +1 • 2021年2月11日
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池田家、親しまれるファミリー
第二次世界大戦中、ペルーからおよそ1800人の日本人移民とその子孫がアメリカ合衆国に強制送還された。そのなかに一世のフリオ・ソイチ池田氏、妻のロサ松川、そして二人の息子フリオとマキシモがいた。こ…
エンリケ・ヒガ・サクダ • 2021年2月11日
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第5回 日米を股にかけて活動
1900年から1961年まで
1961年に出版の「米國日系人百年史〜発展人士録」をもとに翌62年日本で出版された「アメリカ移民百年史」で、著者として加藤新一は「はしがき」のなかで、自分自身に…
川井 龍介 • 2021年1月8日
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