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米国で生きる日本人の選択

滞米40年後の京都暮らし — ラナ・ソーファーさん

日米を往復するきっかけは米国の政治情勢の変化

京都暮らしを満喫中のラナさん。

ラナ・マリコ・ソーファーさんが渡米したのは1975年。ラナさんは、ロサンゼルスを拠点に主に機内上映の映画の字幕、さらには吹替の制作に長年携わってきた。私の自宅から近いこともあって時々、一緒にランチする仲だったが、そんなラナさんが京都にも拠点を設けて日米を行き来していることを知ったきっかけはSNSだった。聞けば、2017年に彼女は転機を迎えていた。

「まず、長年ロサンゼルスで生活していた姉がポルトガルに移住することを決断しました。もともとヨーロッパに仕事で行くことが多かった彼女は、いつか現地に住んでみたいと思っていたようです。ちょうどその頃、トランプ政権になったアメリカで、イスラム教徒に対して入国規制(ムスリム・バン)が敷かれました。私たち夫婦はイスラム教徒ではありませんが、それでもこの先、アメリカは一体どうなってしまうんだろうという不安に駆られました。そこで国外に逃げ場所を作ろうと主人が言い出して、すぐ動けるように自宅を売ることにしました。その時は日本から呼び寄せていた父が既に亡くなっていたのですが、2017年9月、母も亡くなってしまいました」。

2017年、姉の移住計画、政治情勢の変化、母の逝去などさまざまな要因が重なったことで、ラナさんと夫のダニエルさんはアメリカの国外に目を向けるようになったのだ。

「私はまだ日本国籍者のままなので、行き先は日本になりました。他の国だとビザ取得が面倒なこと、そして両親が住んでいた京都にアメリカから何度も訪ねていたのですが、いつかゆっくりと京都を見て回りたいと思っていたことが理由です。父が京都の中でも嵐山が好きだったこともあり、私たちは嵐山で家を購入しようと探し始めました。しかし、何歳でもローンを組むことが可能なアメリカとは違い、日本ではある程度の年齢になるとローンを組めないのです。キャッシュで購入できる家となると限られてくるし、購入したいと思うほど惚れ込むような家に出会えず、結果的に賃貸にしました。それでもびっくりするほど安くて、その家賃くらいはずっと仕事をして稼いでいこうと思っています」。

ラナさんがこっそり教えてくれた家賃は、不動産価格が高騰を続けているロサンゼルスでは「あり得ない」安さだった。そこで気になるのは「保証人」だ。40年ぶりの日本、家族も住んでいない場所で貸家の保証人はどうしたのだろうか。「医者だった父のクリニックで働いていた方が保証人になってくれました。父が大阪のクリニックを閉めて、京都で雇われ医者として働いていた時も度々訪ねてくれて、私も帰省した時に会っているんです」。しかし、多くの場合はやはり保証人には家族や親戚が条件になるようだともラナさんは付け加えた。「私たちには日本でのクレジットヒストリーがないから、保証人は重要です。貸主には家賃を前払いすることも申し出ましたが、それは受け付けられないと言われました。お金を払って、その家をアジトにして事件を起こすといったテロリストの可能性が考えられるからだそうです」。

将来は息子がいるアメリカに戻る

こうして2018年から、京都の貸家を拠点に定め、京都生活では難しい趣味のサーフィンを楽しむために時折ロサンゼルスに戻るという生活が始まった。往復するようになって見えてきた日本の良さ、またアメリカの良さについて聞いてみた。

「日本は何と言っても治安がいいですよね。京都の家の周辺には、無農薬野菜などの無人販売をしている家が多いんです。主人がその光景を最初見た時は『盗まれるよ』と言ってました(笑)。それから長年の課題だった健康保険。日本で病院に行くと、初診で千円なんて言われて、その安さに驚きます。あとは運転ですね。年齢とともに運転が億劫になって、特に夜の運転が苦手になりました。日本だと電車、バス、それにタクシーと自分が運転しなくていい選択肢がたくさんあります。反対に、日本で疑問に思うのは障害者向けのアクセスが十分でないことです。10年前に比べれば駅などにもエレベータが整備されるようになりましたが、そのエレベータも車椅子で入るには狭すぎたりして、そういう点が私はすごく気になります」。

アメリカの良さについてはどうだろう。「75年にアメリカに行った時に、カリフォルニア州の知事はジェリー・ブラウンでした。日本の政治家と違って魅力的で、しかも身近に感じましたね。とても感動しました。それにアメリカは国民が直接、大統領を選べることも大きな違いです。アメリカにいると自分が社会に参加している、参加することで何か変えられると実感できます。それがアメリカの魅力ではないでしょうか」。

さて、新型コロナウイルスのパンデミックの渦中にあった2020年、ラナさんは6月から11月までロサンゼルスに滞在した。その間、アメリカ人に課せられていた出入国の規制状況の先行きが見通せなかったために、夫のダニエルさんは一人で京都に留まったそうだ。「ダニエルは30年の歴史がある『Kyoto Journal』という英語メディアにボランティアとして携わっています。時にはフォトグラファーとして、また時にはデザイナーとして。ボランティア仲間はその多くが京都在住の外国人です」。

ラナさん自身も新しい友達作りに熱心だ。「現在、以前から興味のあったテキスタイルについて学ぶために京都芸術大学の通信科に籍を置いています。通信科だとアメリカに帰った時に講義を受けられると思ったからです。対面式のクラスもあるので、新しい友達ができました」。大学以外でも、お寺の庭師や仏師(仏像専門の彫刻家)など、京都という土地柄から日本の伝統文化の専門家に巡り合う機会に恵まれていると話す。

このように京都での生活を満喫しているラナさん夫婦だが、日本を終の住処にするかというと、どうもそうではないようだ。「子どもがいなければ京都にずっと住むでしょうね。でも私たちにはニューヨーク在住の息子夫婦がいて、今年の夏には孫が生まれる予定です。今回のパンデミックで感じたのは、家族のそばにいることがいかに大切かということ。だから、ある程度、京都で生活したら、やはり私たちは息子がいるアメリカに戻ることになると思います」。

これまで取材してきた人たちと同様、ラナさんもやはり最終的には「子どもがいる場所」で生活したいと話す。その時までできるだけ長く京都での生活を楽しんでほしいと願うが、私が願うまでもなく、zoomの画面の中の彼女の笑顔から充実の日々が透けて見えた。

 

© 2021 Keiko FUkuda

Japan kyoto United States

このシリーズについて

米国と日本の間で生きる日本人に、永住権取得や日本への引き揚げなど、人生の選択についてインタビュー。