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1991年渡米、日米に拠点を置く生活 ー 清水瑛紀子さん
渡米当時の覚悟は「絶対に日本に戻らない」
清水瑛紀子(あきこ)さんは1990年代からアメリカと日本で活動している風水コンサルタントだ。もともとの仕事はIT関係。日本からドイツ勤務を経て、199…
福田 恵子 • 2021年6月2日
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第11回 アメリカ移民と父・松次郎の渡米
一旗揚げようと日本を出た?
『米國日系人百年史』のなかで加藤新一が記した自らのプロフィールによれば、父・松次郎は、新一が生まれた年(1900年)に、生まれたばかりの長男新一と妻を広島に残してアメリ…
川井 龍介 • 2021年4月9日
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シニア世代の新一世によるチャランポランの会
「何かやらなくちゃいけない」
ある時、元広告代理店の社長だった宮田慎也さんという知り合いがSNSにシニア向けの日本語媒体を投稿した。それは、彼も所属する「チャランポランの会」という、主にロサン…
福田 恵子 • 2021年3月8日
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第8回 広島の親族は?
かつての住所を訪ねると
「米國日系人百年史」のなかの自己紹介ともいえるプロフィール記事と、1982年2月10日の中国新聞社の訃報(死亡記事)などから、加藤新一の人生が要約できたところで、広島出身…
川井 龍介 • 2021年2月26日
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第7回 81歳で故郷広島に永眠
中国新聞の連載記事「原爆と中国新聞」(2012年3月〜5月)によれば、広島に原爆が落とされた当時、加藤新一は中国新聞記者の報道部長で、被爆当日市内を歩き回り、一ヵ月後には広島入りしたアメリカの調査団…
川井 龍介 • 2021年2月12日
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紆余曲折の末、リージョナル航空の機長になった藤田尚弥さん
30歳を前に家族連れで航空留学
「もし、あの時決断していなかったら、今でも日本の空を飛ぶ飛行機を見上げて『あの時やってたら今頃あそこにいたかもなあ…』と心の中でつぶやいていたと思いま…
福田 恵子 • 2021年2月9日
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第6回 原爆投下時に記者として
ある人物について、詳しく知ろうとするならまず親族にあたるのが常道だろう。加藤新一については、彼が執筆・編集した「米國日系人百年史」のなかの自身のプロフィールのなかに、妻と子についての記載がある。妻は…
川井 龍介 • 2021年1月22日
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二転三転する営業規制下での取り組み — ヴィーガンレスランのオーナー、中尾昭さん
「以前と同じことをやるだけ」
オレンジ・カウンティーのハンティントンビーチ。フリーウェイからはかなり離れた、目立たないショッピングモールの、これまた奥まった片隅にヴィーガンレストランVegiLic…
福田 恵子 • 2021年1月6日
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書評 - 移住、強制退去、補償:日系カナダ人の視点
タツオ・ケイジの『移住、強制退去、補償:日系カナダ人の視点』は、一つの機会です。タツオの多くの素晴らしい著作から文章を読み直すだけでなく、コミュニティとして、これらの著作が私たちにとって何を意味する…
アンジェラ・メイ • 2021年1月5日