ジャーナルの検索
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第18回 原爆の日を駆け回る
1945年8月6日、中国新聞の報道部長だった加藤新一は通勤途中、西広島駅近くにいて原爆の閃光を見て、すぐさま市内の中国新聞本社へ向かった。その時見たもの感じたことなどを記録、26年後の1971年に自…
川井 龍介 • 2021年8月13日
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第17回 広島はアメリカ2世の郷里だから?
日米開戦から8ヵ月余の1942年8月20日、日米交換船で日本へ戻った加藤新一は、郷里の広島市で中国新聞の記者となった。いつからどのような経緯で就職したかはわからないが、アメリカでの邦字新聞の記者とし…
川井 龍介 • 2021年7月23日
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第16回 抑留され、交換船で帰国
日米開戦となってから、日系新聞の編集長という日系コミュニティーの指導的な立場のひとりとして、自身の身に起ったことについて、加藤新一は詳しく記録に残していない。ただ、「日米開戦でモンタナミゾラ抑留所に…
川井 龍介 • 2021年7月9日
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第15回 米國産業日報の編集長となるが……
前回、加藤新一が記者として所属していたロサンゼルスの日系新聞「羅府日米」をめぐるスト問題について簡単に触れたが、加藤が編集した「米國日系人百年史」のなかの「米国日系人の刊行物」のなかに、この点につい…
川井 龍介 • 2021年6月25日
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第14回 日系新聞の記者となる
中部カリフォルニアで父を手伝い農業に従事した加藤は、父が日本に戻るとひとりロサンゼルス近郊のパサデナに出て造園業をつく。しかし、まもなく日系新聞の記者となった。ジャーナリズムに長年携わる彼の原点であ…
川井 龍介 • 2021年6月11日
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第13回 父に呼ばれてカリフォルニアへ
加藤新一の父、松次郎の渡米後の足跡を追ってみよう。1900年、松次郎が日本のどの港から出て、アメリカのどこに上陸したのかは定かではない。
新一本人が、「米國日系人百年史」のなかで記した自らのプロフ…
川井 龍介 • 2021年5月28日
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第11回 アメリカ移民と父・松次郎の渡米
一旗揚げようと日本を出た?
『米國日系人百年史』のなかで加藤新一が記した自らのプロフィールによれば、父・松次郎は、新一が生まれた年(1900年)に、生まれたばかりの長男新一と妻を広島に残してアメリ…
川井 龍介 • 2021年4月9日
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第10回 加藤家の墓
原田東岷が死を確認
80歳を過ぎても軍縮問題など平和活動に打ち込んでいた加藤新一は、1982年2月9日の朝、自宅で脳梗塞のため亡くなった。突然のことだった。妻の章子さんはアメリカ生まれでモダンな生…
川井 龍介 • 2021年3月26日
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第5回 日米を股にかけて活動
1900年から1961年まで
1961年に出版の「米國日系人百年史〜発展人士録」をもとに翌62年日本で出版された「アメリカ移民百年史」で、著者として加藤新一は「はしがき」のなかで、自分自身に…
川井 龍介 • 2021年1月8日
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第4回 一世への敬意と日本人としての誇り
「加藤新一」で検索してみると
アメリカ本土への日系移民の足跡を取材し、「米國日系人百年史」にまとめた加藤新一が、全米を単独で車で走り回ったことはわかったが、詳しい旅の内容はこの本のあとがきではわか…
川井 龍介 • 2020年12月25日
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