ディスカバー・ニッケイ

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アキノリ・イマイ

(Akinori Imai)


今井明徳はハワイのオラアで生まれ、準州時代のほとんどを第二次世界大戦で過ごしました。彼はホノルルに13年間住み、電気技師になり、その後大学に進学して教師になり、コナで25年間教鞭をとりました。その間、明徳は「アキズ エレクトリカル サービス」という電気工事会社を立ち上げ、成功を収め、25年近く勤めた後退職しました。2010年1月、82歳で叔父のリチャードが亡くなった後(彼の世代の最後)、明徳は家族の歴史を記録するプロジェクトを引き受けることにしました。現在までに、彼は家族に関する4冊の本を出版しています。

2021年9月更新


この執筆者によるストーリー

私たちの素晴らしい両親

2021年10月8日 • アキノリ・イマイ

谷口雅春博士の「大調和の神言」には、次のように述べられています。「宇宙全体と和解しなさい。あなたが和解すると、宇宙全体があなたの味方になります。宇宙全体があなたの味方であれば、何物もあなたを傷つけることはできません。」そして、彼は続けます。「あなたの兄弟姉妹の中で最も偉大なのはあなたの両親です。神に感謝しても両親に感謝できない人は、神の意志に反しています。」この意味の日本のことわざがあります。「一生努力しても、親への恩義は果たせない、返すことはできない。」そして、今度は私の…

ニッケイ物語 10—ニッケイの世代:家族と コミュニティのつながり
豊治おじいちゃんと今井きいおばあちゃんとの暮らし - パート2

2021年9月21日 • アキノリ・イマイ

パート 1 を読む >>祖母の今井きい(1873-1964)は、謙虚で、あらゆる生命を尊び、あらゆるものに感謝し、柔和な人柄でした。祖父ほど正式な教育は受けていませんでしたが、人間の本質を理解し、感謝の気持ちを持って生きていました。祖母は誰に対しても深々とお辞儀をし、いつも笑顔で挨拶をしていました。祖父とは違い、祖母は土を耕し、裏庭の菜園を手入れし、家族のために野菜を育てていました。祖母は私に、平ヤスリを使って鍬を研ぐ方法まで教えてくれました。祖母は、1930年…

ニッケイ物語 10—ニッケイの世代:家族と コミュニティのつながり
豊治おじいちゃんと今井きいおばあちゃんとの暮らし - パート 1

2021年9月20日 • アキノリ・イマイ

祖父豊次(1869-1953、新潟県出身)は、間違いなくユニークな人物で、完全な自由と自由意志を行使していました。祖父の癖や行動、祖父が演じた性格を見ると、誰にも真似できない人物だったと思います。祖父は時にとても厳しいところもありましたが、その一方でとても情け深く思いやりのある人でした。祖父は決して肉体的な人間ではありませんでした。裏庭の菜園にいるところや、道具を使って作業しているところ、食事の準備に関わっているところを見たことがなく、手作業を好む人ではありませんでした。 …

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