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一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その10
>>その9 労務契約請負人 ハワイでは、労働者は雇い主と直接耕地で接触する機会があったが、アメリカ本土では労働者が雇い主を知ることなく働く事も多かった。一世労働者は、労務契約請負人を通じて白…
アケミ・キクムラ・ヤノ • 2011年3月7日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その5/5
>>その4『若人』第三号は8月30日に発行された。編集部によれば、戦時転住局はすべての作品を翻訳し、英文と和文の両方を掲載すべきであると主張したという。しかし、双方の折衝の結果、従来通りの形式で許可…
篠田 左多江 • 2011年3月4日
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第9回 ある台湾人女性の日本留学体験 -許秋槎のライフヒストリー-
はじめに 1920年代から30年代にかけて、日本の統治下であった台湾から多くの若者が日本本土に留学した。いわゆる内地留学である。専門分野は多岐にわたっているが、特に実業と医学関係が多かった。193…
城田 千枝子 • 2011年3月2日
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一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その9
>>その8排日熱の高まり渡米した一世達は、習慣も方言も異なるさまざまな県から来ていたが、アメリカ人から見れば、日本人は皆、同国の同一人種でしかなかった。アメリカ上陸と同時に、日本人は人種偏見、差別、…
アケミ・キクムラ・ヤノ • 2011年2月28日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5
>>その33. 比良男女青年会機関誌『若人』1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。…
篠田 左多江 • 2011年2月25日
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レビュー:BIG DRUM - Taiko in the United States (2005)
去年の12月、San Jose Taikoの主要メンバーと京都で会う機会があった。予想通り、とても魅力的な人たちであった。この魅力はどこから来るのか。単なる個人の性格の問題ではない。その魅力は、彼ら…
神田 稔 • 2011年2月23日
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一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924- その8
>>その7アメリカ本土への旅: 出稼ぎから定住へ日本人移民の多くはハワイにとどまりそこを安住の地としたが、一方でハワイより倍の賃金を貰えるアメリカ本土への渡航を考える者も多くいた。1890年から19…
アケミ・キクムラ・ヤノ • 2011年2月21日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5
>>その22. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者…
篠田 左多江 • 2011年2月18日
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第8回(後編) 朝鮮人学生の留学と就業―立命館大学の場合―
>>前編4 朝鮮籍学生の修学と進路前掲の『全立命館學友會名簿』を利用して、1943(昭和18)年における卒業後の居住地と就業について説明してみよう。まずは、再び回想から考えてみよう(太字は筆者)。
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河原 典史 • 2011年2月17日
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