「アメリカの人種主義」を読む
世界中でいまも「人種」をめぐる差別・対立は後を絶たない。特に「人種の坩堝」と言われてきたアメリカでは、黒人やアジア系の人びとに対する差別・偏見と思われる事件が繰り返し起きている。アメリカ社会のなかでマイノリティーである日系アメリカ人にとっては、決して無視できない問題だろう。
なぜ、こうした人種にもとづく問題が起きるのか。そもそも人種とはいったい何なのか。これまでアメリカ社会は、人種をどうとらえてきたのか。また、日系人・日系社会にとって人種の問題とはいかなるもので、どう対応してきたのか。人種という概念が一つのイデオロギーともいえるアメリカ社会における人種という大テーマについて文化人類学を基底に考察したのが、今年2月に出版された『アメリカの人種主義 カテゴリー/アイデンティティの形成と転換』(名古屋大学出版会)である。
著者の竹沢泰子氏は、関西外国語大学国際文化研究所教授、京都大学名誉教授で日本移民学会会長でもある。文化人類学を専門とし、主たる研究テーマは、人種・エスニシティ論と移民研究。『日系アメリカ人のエスニシティ — 強制収容と補償運動による変遷』(東京大学出版会、1994年、澁澤賞受賞)の著書もある。
その著者が「私のアメリカ研究の集大成」という本書は、学生時代から近年までの間に発表した論文や著作を今日の状況を鑑みて大幅に加筆修正し、アメリカの「人種主義」について明確な問題意識をもって考察した大作である。
「人種」に生物学的実態はない
アメリカ社会が、人種に基づきマイノリティーに対して行ってきた構造的な差別。そのなかで日系をはじめマイノリティーは、アイデンティティとの兼ね合いでどう生きてきたか。その切り口は多岐にわたり、対象とする分野は、移民史はもちろんのこと、大衆文化史から自然科学、法学、社会学、芸術などに広がり、学際的な研究の成果をいかんなく発揮している。
特に、文化人類学を軸にしながらも、日本の一般的な文系の研究とは異なり、自然人類学の観点からアメリカの人類学史を追い人種を科学的にとらえなおしている。
一般に、人種とひとことで言っても、その定義はなんなのかと問われれば答えに窮するだろう。手元の辞書では「人種」を「地球上の人類を、骨格・皮膚の色・毛髪の形など身体形質の特徴によって区別した種類。普通、白色人種、黒色人種、黄色人種に三大別するが、分類不能な集団も多い」(大辞林)と説明する。
しかし、これは通説を整理したもので、「身体形質の特徴による区別」で、○○人種と判断することが果たして妥当なのかどうか、踏み込んで考えれば疑問だ。一例を挙げれば、色白で細面で鼻が高く目元がはっきりしていて、髪の毛がさらさらしている日本人は白色人種なのかということだ。
科学的な根拠がないのに、あたかも科学的に「人種」が定義されている、という誤った前提は、人を偏見や差別へと導く可能性があることが推測できるだけに、「人種」への正しい理解は肝要である。本書は、この点について「『人種』には生物学的実体がない」という科学的な見解を、遺伝学や自然人類学の観点から説明する。
芸術作品と作家から見る
本書は、以下の章からなる。「第1章 広告とジョークにみる人種のステレオタイプ」、「第2章 広告にみるステレオタイプと人種間の関係性」、「第3章 アメリカ人類学史における『人種』」、「第4章 進化論とアメリカ人類学 — 19世紀後半を中心に」、「第5章 センサス再考」、「第6章 帰化権にみる白人性ホワイトネスとアジア系の境界 — 法廷が定める人種カテゴリー」、「第7章 日系アメリカ人の経験とアイデンティティ」、「第8章 サンフランシスコ日本町にみるコミュニティ組織の変容 — 1877〜2000年」、「第9章 アイデンティティ・ポリティクスからポスト・アイデンティティへ — 2000年代の若手アジア系芸術家たちの作品と語りを手がかりに」、「第10章 ミックスレイスの人びとが向き合う人種カテゴリー — ロジャー・シモムラ、ローラ・キナ、シズ・サルダマンドの作品と語りから」、「終章 『ほどく』『つなぐ』がひらく未来へ — 井上葉子とジーン・シンの作品と語りから」
1,2章では、「黒人というものは・・・」「ユダヤ人はとかく・・・」「アメリカの先住民だから・・・」と、俗に偏見を交えて人びとが思い描いている決まりきった人種像(ステレオタイプ)が、広告という商業媒体や世間で流布するジョークのなかにどう登場しているかを見る。
3,4章では、先に記した「人種」についての科学的な議論を、人類学史やアメリカ社会の変遷のなかで考察する。
5章の「センサス」とは、日本で言う国勢調査のことで、調査の一つの目的でもある人種やエスニシティなどについて考察する。センサスは国家が国民を統治するにあたっての国民の基礎データである。このなかで、人種を把握しようという国と、回答することでアイデンティティを自問する市民の側から社会が見えてくる。
6章では、帰化と人種の関係について、アジア系移民と帰化法をめぐる裁判の判例などにもとづき検証する。7章は、日系アメリカ人が、日系であるがゆえに人種主義によって、戦時中に強制立退きにあい強制収容された歴史をはじめ、戦前の排斥や、1980年代の日米貿易摩擦時の事象に焦点をあてる。
9章以降は、芸術の世界を通して、アジア系アメリカ人のアイデンティティの方向性やマイノリティーの連帯、そして覇権的な国家アメリカに問いかける姿勢を見る。時代の最先端で活躍するアジア系アメリカ人の作品や表現方法が、それぞれのアイデンティティとどう関係しているのか、彼ら自身の言葉を交えながら紹介する。
この中にはアジア系、日系というアイデンティティを強く意識し、作品に反映させながらも、アメリカ人であることを求める心情や、できるだけマイノリティーであるアイデンティティから離れる意識など、その方向性はさまざまで興味深い。
人種差別に共通するもの
「あとがき」によれば、著者は、大学院時代にシアトルで日系アメリカ人の戦時中の強制収容という体験が耐え難い記憶であることを学んだことが転機となり、人種差別の問題に関わることになるのだが、日系アメリカ人の体験を研究した自分の特性をどのように学問や社会に活かせるかと考えたとき、幼少期に見聞きした被差別部落や在日コリアンの人たちに対する偏見や差別を思い出し、彼らに対する偏見や差別は、日系人や黒人に対する人種差別と通底しているように思われたという。
ここからさまざまなマイノリティーへの人種差別を見る目が開かれ、「人種差別の問題をいかに共通性のあるものとしてアピールするかが、ライフワークとなった」とも書いている。また、別のところでは、差別を構造的な問題としてとらえ、この問題意識を共有する人たちとのつながりを求めることの重要性を説いている。
本書は専門書の類に属するが、人種をはじめ国家や民族、そして宗教の違いなどによって人間が分断され、敵対する事例が頻発する昨今、人種差別という「差別」にどう向き合うかについて広く考えさせてくれる。
© 2023 Ryusuke Kawai