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日系人と日本語

移民家族とのひととき

「ヨウはカフェー・センアスーカにする。オッセーはどうする?」

「アルモッサもしていったらいい。」

戦前移民であるその一世長老は、日本から来た留学生である私が訪ねるたびに、そう言って歓待してくれた。そしてそのかたわらには必ず、婦人部で日本舞踊を舞い、俳句を嗜み、いつも笑顔のセニョーラ(夫人)がいた。この二人に加えて、二世の娘夫婦、そして時には片言の日本語を話す中学生の三世の孫までが同席し、入れ替わることもあったが、いつも家族のように接してくれた。そして最後は、お茶漬けと漬物の食事が定番であった。今となっては、もう再び会うことのできないその好々爺、そしてその家族との出会いは、遠くて懐かしい想い出、まさにブラジルのサウダージ(懐愁)という表現に相応しい体験だった。外国における独り身には、ずいぶん救われたひとときだったに違いない。

移民研究に取り組む今にして思えば、あの時期にその会話を記録したり、録音したり、なぜ思いが至らなかったのだろうか、と悔やまれる。いや、それは失礼なことになっていただろうし、研究対象としてあの家族を見る余裕などなかった。ちなみに、冒頭の文章は、「私は(砂糖を入れない)ブラックコーヒーにするが、あなたはどうする?」「昼食もいっしょに食べていったらいい」という意味になる。ヨウは殿様言葉「余は満足じゃ」の「余」ではなく、ポルトガル語の一人称単数にあたるeu(エウ)「私」が訛ったものである。最初は、もしかしてご先祖は・・・とも疑っていた。

あれから早くも30年を超える時が過ぎた。同じ頃に、修士論文をまとめるためにインタビューしたある二世女性が、「それは『感謝』という言葉です」と語った時の衝撃が今も忘れられない。一世である両親から受けた日本の文化や遺産として、何が大切だと思うか、と尋ねた時の回答である。それからおよそ20年後、この「感謝」という言葉は、「おかげさまで」と言い換えられ、ハワイの日系人からも聞かされることになる。そして、日系人によるその英語訳が、素晴らしい見事な訳になっている。I am what I am because of you. 「あなたがいるからこそ、現在の私がある。」日本人としての心の拠り所、日本文化の伝統としての日常生活における価値観を、日系人をとおして学ばせてもらった気がした。異文化や多文化の中でぶつかりあい葛藤してきたからこそ、日本文化の拠り所を探し求め凝縮させていった日系人ならではの帰結であろう。日本語は話せなくとも、「おかげさまで」の意味を理解している日系人がいるということである。この言葉が継承されていることはたいへん意味深い。


ブラジルのコロニア語

冒頭のチャンポン語に戻ろう。これはブラジルではコロニア語と呼ばれている。コロニアとはポルトガル語で本来は「植民地」を指している。しかし第二次大戦後、帰国を閉ざされた日本人移民がブラジルでの永住を決意し、生き残りのための連携や協力を模索した時期から、日系社会の全体を指して「日系コロニア」と呼ぶようになった。そしてコロニア語とは、その日系コロニアで使われる言葉を指し、ブラジルの一世および二世のあいだで話されていた、ポルトガル語混じりの日本語のことである。今でもはっきりと覚えている表現に、以下のようなものがある。

 「次のエスキーナ(角)を右に曲がり、その通りをまっすぐに行けば、ヴァルガス通りに落ちます(辿り着きます)」

 「じゃあ今度のドミンゴ(日曜日)にいっしょにテニスを投げましょう(プレイしましょう)」

 「しばらくはオニブス(バス)が来ないから、あそこでタクシーをつかみましょう(に乗りましょう)」

下線の表現は、それぞれの状況で使われるポルトガル語動詞をそのまま日本語に訳したために起こる独特な言い方である。クリチーバ・モデル校の笹谷聖子先生はコロニア語を「ジャポンゲイス」と呼び(japonês〔ジャポネイス〕とportuguês〔ポルトゲイス〕の語呂合わせ表現)、以下の例を紹介されている。

「私はもうアポゼンタ(定年退職)しているから、セマナ(平日)はペスカ(釣り)に行ったり、ドミンゴ(日曜日)はフィーリョ(息子)の家でアルモッソ(昼食)したり、ビーダボア(安定した生活)ですよ。」

(『かけ橋』n°21, 2013. p.18)

歌を詠む日系人のあいだでも、ポルトガル語が日本語に混じり季語となっている語もある。

蜜柑もぐ吾子のノイバ(花嫁)は大女 青柳清流子

茎漬やマモン(パパイヤ)を漬けし日も遠く 樋口敏明

シュベイロ(シャワー)の湯ざめ侘しく思ひ寝る 念腹

(佐藤牛童子『ブラジル歳時記』2006年)

また「女郎(の子)、合いの子、ガイジン、便所、寄り合い」といった日本では現在日常生活でほとんど聞かれない、あるいは過去の言葉となっている単語が、日系コロニアではよく聞かれた。時代が凍結されてそのまま残っているような言葉である。ちなみに、「合いの子」は2000年、パラナ州ロンドリーナで制作された日系コミュニティ紹介ビデオのタイトルとなり、「愛の子」(filhos do amor)と表現された。合いの子の言葉がもつ侮蔑的な意味が転換され、肯定的な意味づけがなされている。言葉の価値転換という意味では、japa(ジャッパ)もそうだろう。英語のjapに相当するこの言葉は、本来は侮蔑的意味を持つことばである。しかし、ブラジルではおそらく2000年代以降、全く軽蔑の意味をもたず、使う方も使われる方も、ともに親しみを表わす言葉として了解されるような状況も生まれてきた。軽蔑の対象として捉える状況が減ってきたということだろう。ブラジルにおける日系人の貢献と深い関係があるに違いない。

そのほか、ほとんど年齢の変わらない相手から「おじさん」と呼ばれて、不快な思いをすることもたびたびあった。おそらく女性で、同じように「おばさん」と同世代から呼ばれて、不愉快な思いをした人もいるに違いない。これは面識のない知らない相手を呼ぶ際に、ポルトガル語では tio(おじさん) tia(おばさん)という言葉を使うことがあり、そのまま日本語に訳した不幸な誤訳である。この場合の、ポルトガル語tioとtiaの想定年齢はかなり広い。

あるいはまた、デカセギ関係の相談所に「用心棒求む」という求人広告が掲載されたことがあった。バイリンガル表記でポルトガル語では “Procura-se um guarda.” とある。詳細を見ると、デカセギとして留守にする間、田舎の小農園を荒らされたり奪われたりしないように管理者を求むとの趣旨である。なるほどguardaには番人や守衛の意味があり、ブラジルでは場合によっては発砲する必要があるかもしれない。用心棒とはうまく言いあてたものだと感心した。

「コジンニャのアジュダンテ」(台所の手伝い)募集掲示


「ルキケチ」と「おすまだよう」

ルキケチとおすまだようと聞いて、何のことか分かる人は少ないのではないか。前者は「コロニア語」、後者は「横浜ことば」である。ルキケチはコロニア語の一種といってもよいだろう。写真にあるように、これは店名である。Lucky Cat という店舗が日本語でも店名を表記しており、「ルキケチ」と掲げているのだ。これはブラジル風英語発音(?)から来ていると推測される。なぜなら、party はパーチィ、 Yakult はヤクルチ、Hello Kitty はハロ・キチ、Batman はバッチマン、と多くのブラジル人は発音している(ように聞こえる)ことからくる音変化と同じだからである。堂々と店名として掲げられていることからも、決して不自然なこととは捉えられていないと判断できる。

Lucky Cat をルキケチと表記したカバン・贈物・文房具店 

横浜ことばとは、1859年の横浜開港以降、居留地を中心として外国人と接触していた日本人のあいだで、外国人と交わしていた言葉を指しており、「横浜ことば」として記録に残されているものである。そうした語彙の中には、「かんかん(count, 貫目みるを)」「ちんちん(change, 両がいするを)」「はまち(How much, ねだんきくを)」などがある。一説には「ちゃんぽん」も横浜ことばだと言われている。しかし、「おすまだよう」は少し難しい。これは What is the matter with you? の音訳とされている。「(あなたは)どうなさいましたか。」の意味である。確かにWhat is the matter with you? を早口で発音していくと、そのように聞こえてくる感じがする。耳で覚えるとはこういうことかもしれない。横浜から海外に渡った移民には、横浜でのこうした経験を経て、その語彙を伝えている人がいることは想像に難くない。ハワイのピジン英語との関連も気にかかる。

移民とよばれる人たちが、どのような困難に直面してきたか、そしてそれを乗り越えてきたか、現在では滑稽にすら思えることが、実はたいへんな苦労を伴ったものであることを、こうした歴史は示している。

 

© 2018 Shigeru Kojima

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