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外国人労働者で揺れる日本と「移民国家アメリカの歴史」

気がつけば、周りは外国人

2年前、北海道の洞爺湖近くのシイタケ栽培場に案内されたとき、何人もの若い中国人女性が働いているのを目にした。「地元では若い人がいませんし、来てくれませんから」と、経営者が教えてくれた。今年、愛媛県の水産加工会社を訪れたときは「働き手を確保するのに大変です」と、経営者はため息をもらしていた。

私はここ数年横浜の馬車道界隈に仕事場を構えていたが、周辺のコンビニで働くのはほとんどが外国人で、アジア系の若者ばかりが働く店も登場した。また、仕事場のあるビルの改修工事に来たヘルメット姿の男性に声を掛けたらぽかんとされたことがあった。日本語がわからなかったのだ。

個人的な体験だけからしても、ずいぶんと周りに外国人の働き手が増えているのがわかる。それも「知らず知らずのうち」という感じがする。別な言い方をすれば、彼らを自分たちとは違った「異邦人」としてだけ見ている。というのも、日ごろ目にはするものの、彼らと親しくなることはないからだ。

おそらく大方の人が私と同様の印象を外国人労働者に対して抱いているのではないだろうか。しかし、その数のさらなる増加傾向のなかでは、もはやそういう態度では済まくなってきているのはいうまでもない。外国人労働者を同じ社会で働く人として、なかまとして見て接していく時代がいま来ている。 


1号、2号と分類される

先ごろ、改正入管法が日本の国会で成立した。264万人の在留外国人が暮らしている。埼玉県川口市や群馬県大泉町のように、外国人、日系人のコミュニティーができあがっているところはいくつもある。かつてアメリカの西海岸の都市に生まれた日本人町のようなものだ。

外国人コミュニティーには、日本の制度、文化のなかにあるとはいえ、独特の暮らしぶりが見受けられる。その一方で、外国人と日本人との交流は、軋轢を抱えながらも互いに避けられず、コミュニティーは、多文化共生の“実験場”ともいえる状況になっている。

家族がいる外国人もいるし、その子供たちは日本の学校へ通い、やがて親の世代と違った価値観で日本での生活をするようになる。日本人と友人関係になったり恋人関係になることもあるだろう。そういう意味では、移民はもうはじまっているといえる。

移民の定義はむずかしいが、かつてのアメリカへの日本人移民の例をみれば、最初は多くが出稼ぎという期間限定労働(滞在)のつもりで渡米したのだった。それがやがて結婚し、子供が生まれるなどして、新天地に骨を埋める覚悟になったという人は少なくない。

シアトルで成功した日系スーパー「宇和島屋」の創業者の森口富士松氏の例をあげれば、事業が成功して孫ができて初めて氏はアメリカ人になる覚悟をしたという。

労働者の受け入れが緩やかだった当時と、いまの日本を単純に比較はできないが、移民は、難民として認定されて移民するといった正規の移民だけではなく、結果として実質的に移民になることも多数ある。その意味では、もはや日本は移民国家であるという論もある。


アメリカ移民史が教えてくれる

言い方を変えるならば、受け入れる側は期間限定の労働者と認識しても、あるいは政治的な建前(思惑)上、そう位置づけても、その人が移民となる例はいくらでも出てくるだろう。つまり移民は移民として最初から登場しているわけではなく、移民になっていくと言った方が適当ではないだろうか。そうであれば、なおさらのこと今の段階で、移民を受け入れるということはどういうことかを具体的に考えていくべきである。

その際に、ひとつ参考とすべきなのは、世界のなかで移民国家と言われるアメリカの移民の歴史である。

「移民国家アメリカの歴史」

「筆者の立場をあらかじめ明確にしておけば、少子高齢化が進む日本社会は遅かれ早かれ、移民受け入れを宣言するときが必ず来ると考えている。国籍や人種、民族、ジェンダー、セクシュアリティーなど、多種多様な背景をもつあらゆる人々が『共生』する日本社会をつくりだすには何が必要なのか。その共生の技法の学びにも、アメリカ移民史ほど豊かな気づきの機会を与えてくれるものはないはずだ」

こう訴えるのは、先ごろ出版された「移民国家アメリカの歴史」(岩波新書)の著者、貴堂嘉之氏である。

移民をめぐる議論は、アメリカ社会ではつねに起きてきた。少し前の9.11後からはイスラム系の移民に対する偏見が生まれた。さらに遡れば、戦時中の日系移民やそれ以前の中国からの移民への差別、偏見など、時代の社会情勢に絡んで、特定の移民が問題視されることがあった。しかし、その都度それらを跳ね返す力もまた生まれ、アメリカという国のダイナミズムを機能させてきたことも事実である。

そもそも、イギリスからの難民としての移民からはじまり、アメリカという国が体制を整え、成長していく過程で、つねに移民がかかわってきた。ヨーロッパからの白人移民が意図的につくる移民神話を含めて、移民の歴史によってアメリカは語られるといっても過言ではないことを本書は示している。

とくに、これまであまりスポットが当たらなかったアジア系アメリカ人移民の歴史的な考察は、示唆に富んでいる。

アメリカでもアジア系の移民の割合が増加しているように、今後日本への移民も、そのほとんどがアジア系の移民だと推測される。その移民の側に立ってみた場合、日本はどう見えるだろうか。また、かつて差別、偏見に遭いながら、やがてアメリカではもっとも成功した移民とみられた日系アメリカ人の歴史から見た場合、日本の外国人に対する政策はどうみえるだろうか。本書は、そうした視点の重要性についても考えさせられる。

現実から目をそらさず、増えつつある外国人と移民について、真正面から向き合うときに、いま日本社会は来ている。

     

© 2018 Ryusuke Kawai

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