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ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう — 郷愁とブラジル日本移民 - その2

サンパウロ州サンロッケ市の国士館スポーツセンターの桜

その1を読む >>

ブラジルを「故郷」にするなら桜を植えよう

戦前移民にとって桜を見ることは夢だった。日本にしかないものだったからだ。

胡椒、黄麻、紅茶、数々の野菜など商品作物の苗や種は、戦前からブラジルに持ち込まれていた。だが桜の苗が、ブラジルに持ち込まれるようになったのは戦後。これは、なぜだろうか。

島田さんの話を聞きながら、「花咲じじい」と言われた故西谷博さん(1919―2015)を取材した時のことを思い出した。

サンパウロのカルモ公園に桜を植え始めた一人で、俳人・西谷南風としても知られ句集『さくらもり』(07年)を出版した。その略歴に、1978年の移民70年祭の記念事業の一環として桜植樹に関わり始めると書いてある。

以後、25年間にわたり、カルモ公園桜植樹員会の委員長として1500本の植樹をし、サンパウロ市が誇る桜の名所に育て上げた。まさに〃花咲じじい〃に相応しい人物だ。

西谷博さん(2010年12月、聖市の自宅で)

その西谷さんに2010年12月、イタケーラの自宅で取材した際に聞いた、こんな言葉が強い印象に残っている。

「故郷を離れた私たちは、もう帰って住むことはできないんですよ。移民の運命です。それなら、ここに桜を咲かせよう、ここを住みよい場所にしようと思ったんです。あの頃は、コロニアの中でも私たちに対して『物好きがやってるよ』という感じだった」

ただ「植樹をすればよい」というものではなかった。

「援協のエライ人から言われた。桜なんて古い。成功するにはイッペー(ブラジルの国花)植えた方が良いって。でもね、私たちには『日本に帰らなくても、ここで桜を見に行けるようにする』っていう気持ちがあるんですね。花見を開催したら、笠踊りが見たいと言われ、だんだん大きくなっていた」としみじみ語った。

西谷さんは故郷・鳥取の笠踊りを県人会に導入し、居ながらにしてより故郷を感じられるようにした。

西谷さんの話から感じたのは、「戦後、日本には帰れないと覚悟した時、皆は『ブラジルを故郷にしよう。故郷なら桜が咲かなきゃいけない。それなら桜を植えよう。そしてここを故郷にしよう。だから桜を植え続けるんだ」という強い意思だ。

西谷さんが渡伯したのは1929年、まだ10歳だった。ノロエステ線のビラッキ、リノポリスなどを転々とし、羽瀬商会の注文取りをして地方を巡回する毎日を送り、41年に新開地だったオズワルド・クルスに居を構え、乾物屋を始めた。

45年8月終戦、46年8月にオズワルド・クルスでは、勝ち組男性がブラジル人とバールで喧嘩して殺害する事件がキッカケとなり、町中を巻き込んだ大暴動に発展した。日本人をリンチにするブラジル人暴徒があちこちの日本人の家を襲った。

「大きな声が上がって、暴動だっていうので、飛んで行って店を閉めたから、うちは被害がなかった。でも日本人が一人殺され、けが人が出たと聞いた」。町の日本人会は、当然、勝ち組と負け組に分かれていた。

西谷さんが「子供たちの結婚のことを考えたら可哀想だ。そろそろ一緒になろう」と勝ち組団体と負け組団体の統合を呼びかけ、1960年に一つになり、その会長に就任したという経緯があったという。

つまり、勝ち負け騒動が鎮静化するのと、移民がブラジルに骨を埋める覚悟をするのは、同時進行だった。

たとえ勝ち負けが収まってブラジルに永住を決意した後も、「桜を見てから死にたい」「桜のある場所で死にたい」という気持ちは収まらなかった。だから、日本から苗を持ち帰ってきて移住地や公園に植えた。


ブラジル各地にできた桜の名所

2014年8月2日、サンパウロ市イタケーラ区のカルモ公園でブラジル桜イペー連盟が開催した『第36回桜祭り』に出席した安倍昭恵首相夫人

日系コロニアの最盛期と言われる移民70周で、カルモ公園の桜植樹は始まり、今ではブラジル国内有数の桜の名所へと成長した。今ではブラジル人が憩う名所にもなっている。

前述の句集の冒頭句は《日本(にっぽん)の桜植えんと土ほぐす》だ。「日系一世世代の多くが各文協の会長であり、桜に特別の思い親しみを持っていたように思う。日本の土をほぐして懐かしんだ」と解説されている。

最初の頃、日本の桜の会から関山桜、大島桜、彼岸桜、天の川など7、8種を送ってもらった。

《夢を膨らませて暮らす。ただし、2、3年で成長を止めてしまう。雪の降る国から来た桜苗は、やはりコーヒーの国には無理であった。まもなくカンポス・ド・ジョルドンより雪割桜の小さな苗を吉岡さんが買ってこられた。四国出自のこの桜は土地に合い良く育って行った。人に故郷がある如く、桜にもそれがある。四国出自の雪割桜は、今この国で一番、日本の桜に似ていると見る人が言う。》

—『さくらもり』より

日本から来た苗に付いていた日本の土に、移民は特別な郷愁を感じた。その思いが、前出の句に結晶している。

ただし、サンパウロは亜熱帯性気候のため、一番根付きやすかったのはヒマラヤ桜だった。沖縄や台湾に咲く品種しかここには根付かないようだ。ただし、ヒマラヤ桜を植え始めた最初は「葉が桃に似ている」「これは桜ではないかも」などと心配されていたそうだ。

だが、移民が心の中で桜だと思えれば、たとえ代用品でも良かった。ちなみに南半球のブラジルでは、花見の季節は7~8月だ。

おそらく、戦前移民にとって「桜」が意味するものは、「故郷そのものの象徴」だった。桜が咲く場所が「故郷」であり、だからブラジルに骨を埋める決意をするにあたって、ここを日本の代わりにするために桜を植えた。

島田梅子さんのお父さんのように日本まで行かなくても花見ができるようになり、身近に「日本らしさ」を味わって郷愁を癒すことができるようになった。

このような「桜祭り」はサンパウロ州ならカルモ公園以外にも、サンロッケ市の国士館スポーツセンター、カンポス・ド・ジョルドンの「さくらホーム」、ガルサなどが桜祭りで有名だ。ほかにサンタカタリーナ州のラモス移住地、パラナ州でもアプカラナにたくさん植えられている。

サンロッケ市の国士館スポーツセンターでの花見の様子(写真=文協/Bunkyo)

そして今ではそのような地区に生まれ育ったブラジル人にとっても、桜は「故郷」を感じさせるアイテムになりつつある。きっとそれも、移民がもたらす移住先への影響の一つなのだ。

 

© 2018 Masayuki Fukasawa

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