深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。

(2009年1月 更新)

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ブラジル水泳界の英雄・岡本哲夫:日伯交流から生まれた奇跡

第6回 移民の子が国家的な貢献

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岡本の快挙を祝って地元マリリアでは1952年9月28日に「河童祭り」と称する祝勝会が開かれ、牛3頭を焼いて1千人を招く盛大なシュラスコ会が開催された。それを報じた『パウリスタ新聞』1952年10月2日付によれば、父専太郎が「泳ぎ始めはわしの観海流(日本古来の遠泳法の一つ)を仕込んだもので…」などと始終、上機嫌だったという。

映画『競泳選手』には、1960年のローマ五輪の100メートル自由形で銅を取ったマヌエル・ドス・サントスの貴重な証言もある。

《とにかく哲夫は我々のアイドルだった。彼の真似をすることこそ、僕らが必死にしたこと。日本人らしい勤勉さなど、彼は全てにおいて僕らの模範だった ...

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第5回 トビウオが変えた岡本の運命

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岡本の業績と人柄をまとめたドキュメンタリー映画『O nadador – A história de Tetsuo Okamoto』(以下『競泳選手』と略、2014年、26分、ポ語、ロドリゴ・グロッタ監督)で、姉の鈴枝さんは弟の性格を《とにかく控えめで、あまり社交的ではなかった。勉強よりも、ひたすらスポーツに打ち込んでいた》という ...

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第4回 反ヴァルガス主義的なスポーツ振興策

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戦前からの意外な繋がり

調べてみると、確かにパジーリャは戦前からスポーツ局の仕事をしていた。ヴァルガス独裁政権からサンパウロ州執政官(1938~41年)に任命されたアデマール・バーロスからの信任が厚く、パジーリャはサンパウロ市アグア・ブランカ区のベイビ・バリオニ体育複合施設、イビラプエラ体育複合施設コンスタンチノ・ヴァス・ギマランエスなどの建設を開始していた。

前者は今も全伯相撲大会の会場として使われ、後者には「南米の講道館」と言われる大柔道場がある。日系スポーツとも縁の深い施設を作っていた。

ESPNサイトの「五輪のB面」特集2015年3月24日電子版によれば、体育教師などスポーツを職業とする専門家の待遇を保証する州条例を、パジーリャは作った ...

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第3回 影の功労者、パジーリャ局長

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パカエンブーのプールに日章旗掲揚を許可したサンパウロ州体育局長は、戦争中に日本人プールの使用を特別に許可した時と同じ「パジーリャ氏」だった。

『パウリスタ新聞』1950年3月28日付には、パジーリャ局長のコメントが掲載され、《この大会に外国選手が参加するということはかつてなかった。この例を破ったこと、そのものに我々は非常な悦びを感じている。我々が持つ日本及び日本人への深い友情の表れがこうした例外を作られたと言っても良く、スポーツを通じての友情を永久に続けていきたい》と記されている。

つい5年前までは敵性国民として扱われ、公の場での日本語使用禁止、3人以上の集会もダメだった。日本移民を嫌う官憲も多かった時代に、並みいるブラジル人選手を抜いて南米新記録を続々と樹立したその水泳団一行を、不思議なことにパジーリャ局長は快く受け入れた。

パ紙創刊当時の記者で、水泳使節団来伯時には『日伯毎日新聞』記者として一行に同行取材した水野昌之さん(92 ...

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第2回 日本移民受難の時代に曙光

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1942年1月、リオで行われた米国主導の汎米外相会議で、アルゼンチンをのぞく南米10カ国が対枢軸国経済断交を決議、ブラジル政府も同29日に枢軸国と国交断絶を宣言した。

サンパウロ州保安局は「敵性国民」に対する取締令として、「自国語で書かれたものの頒布禁止」「公衆の場での自国語の使用禁止」「保安局発給の通行許可証なしの移動禁止」「保安局に予告なしの転居禁止」などの制限を日本移民に課した。

そんな時代ゆえ、「日本人プール」は竣工こそしたものの書類に不備があり、開場早々に使用禁止を言い渡された。戸崎新蔵と山崎用一は急きょ、サンパウロ市に出向いて州体育局長にお伺いを立てた。

すると《親切に手続きを教えられ、戦争中も一時閉鎖を命じられたが、これもパジリア氏からのやつてよろしいという許可証でパッサ(註=通過 ...

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