深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。

(2009年1月 更新)

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ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その4

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2000年以降、動き出した歴史見直しの歯車

ここ数年で、いろいろな歯車が回り始めている。

沖縄在住の映画監督の松林要樹さんが10人以上のサントス強制立退き者をすでに取材しており、ドキュメンタリー映画を作ろうとしている。彼が2016年にサントス日本語学校に行った際、何気なく置かれていた強制立ち退き者の名簿を発見し、そこから掘り起しが始まった。その時に撮影した体験者のうちの数人はすでに他界してしまった。故人のためにも、ぜひとも完成させてほしいと願っている。

今年の動きで最も大きなものは、戦争前後の日本移民迫害に対して損害賠償をともなわない謝罪請求訴訟を連邦政府に対して起こしている奥原マリオ純さんの運動に対し、ブラジル沖縄県人会(島袋栄喜会長)が4月19日の定例役員会で支援する事を全会一致で決めたことだ。

もちろん、決め手となったのは、サントス強制立退き者の60%以上が沖縄移民と子孫だったことだ。故郷と気候が似ていることもあって、サントス港付近には荷卸し作業者や漁業者としてたくさんの沖縄県系人がいた。役員会でその件が提起されると ...

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ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その3

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戦勝情報というフェイクニュース

上さんの話を聞くうちに「紙つぶて」作戦は、実は23歳ころから始まっていることが分かった。モンテ・アレグレ植民地時代、1945年8月1日、上さんがいた青年団文化部が会報「ANDES(アンデス)」を発行し始めた。

2016年9月に自宅へ取材に行った折り、大事にしまってあった実物を見せてもらった。B5版の手書き、ガリ版刷りの小冊子だ。

第1号には朱書きで「本誌は絶対に外人の目に触れざる様に」「一覧後は、特に保管者の許可なき限り貸出は許さず」などと注意書きが書かれている。閲覧は同志の間だけの極秘理に行われたことが分かる。

これが官憲に見つかれば、間違いなくDOPSの留置所行きだった ...

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ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その2

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「南米における日本移民の出エジプト記」

上さんは1922年3月15日に福岡県直方市(のおがたし)に生れ、11歳だった1993年に両親に連れられてブラジル移住した。最初は平野植民地、その後、バストス移住地近くのモンテ・アレグレ植民地、戦後はリンスを経て、1956年にサントスへ転住した。

平野植民地は1915年に創設された日系最古の集団地の一つで、当時知られていなかったマラリアにより入植開始からわずか半年間で70人以上が次々に亡くなった悲劇の開拓地として有名だ。いま思えば、当時の開拓者はまるで特攻精神で突撃するように原始林を体当たりで切り開いていった。上さんが次に行ったバストス移住地周辺、リンスも当時日本人が最も多かった場所だ。

上さんが19歳だった1941年12月に真珠湾攻撃。その翌月、米国はリオで汎米外相会議を開催し、アルゼンチンののぞく参加10カ国(ブラジル含む)に枢軸国との経済・国交の断交を決議させた ...

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ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その1

「日本語学校は戦争中に敵性資産としてブラジル政府に凍結、接収された。我々、日系人の手にそれが戻ったときこそ、私の終戦です」

これは返還運動を20年以上も孤軍奮闘、引っ張ってきた上新(かみ・あらた)さんの口癖だった。

ブラジル日本移民110周年を迎えた6月18日、そのサントス日本語学校の地権の名義変更署名式が行われ、正式に連邦政府から地元日本人会に返された。つまり、上さんの「戦争」が、戦後73年を経てようやく終わった。

20日付エスタード紙も「76年後に家の鍵が戻った=大戦中に接収した日本人邸宅を連邦政府は返還した」と報じるなど、ブラジル・メディアにも大きく報道された。

残念ながら本人は直前の3月11日 ...

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《幾山河ここに恋あり命あ里》に込められた想い

《幾山河ここに恋あり命あ里》という川柳を見た覚えがないだろうか――サンパウロ市リベルダーデ区ガルボン・ブエノ街の大阪橋のたもとにある、日本庭園を入ったすぐ左に建てられている句碑の作品だ。

東洋街に出入りしながら、心を焦がすような熱い恋をして、命を削るような辛い思いをした人は、ここは異国の地だが一種の故郷(里)のように感じる――そんな想いが込められている。東洋街だけでなく、全ての移住地、植民地に当てはまる名句ではないか。

だが、句碑の作者名の部分だけが、なぜか最近刻んだように見えるのを不思議に思っていた。ところがこの週末、偶然にその理由が判明した。安藤魔門の川柳句集『卍』(1997年、黒田不知火編)に掲載された句碑の写真には ...

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