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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2016/2/1/stephen-kitajo/

第三回 スティーブン・キタジョウさん(ミネドカの旅実行委員会)

毎年行われるミネドカの旅に参加するキタジョウさん(左から4人目)。 (写真提供:ミネドカの旅実行委員会)

シアトル地域で活躍する若い日系人。四世にあたるスティーブン・キタジョウさんは、8月から、アイダホ州のミネドカ日系人収容所跡地へのツアー企画運営団体「ミネドカの旅実行委員会」の共同代表になった。過去にワ州日本文化会館(JCCCW)にも勤務、日系人であることへの意識について聞いてみた。

* * * * *

日系団体での活動は、自身の好奇心から来たものだったという。両親は三世にあたるが、二世となるキタジョウさんの祖父母)から、日系人の経験について伝えられてこなかった。

「母は何かしら関わりたいと思っていたようですが、日々の忙しさで何もできなくて。自分が関わることで、何も聞かされてこなかった両親に自分の学びを共有することができると考えました」

大学ではアジア系米国人民族学と歴史を学んだ。途中で関心の軸が歴史にあることに気づき、アジア系米国人の歴史に焦点を当てて学ぶことにしたという。卒業後のJCCCWでの勤務で、文化が歴史と深い関わりがあり、「基本的に文化を作る大部分の要素は歴史なのではないか」との考えを持つようになった。

「成長していく過程で、自分は日系米国人なのか、米国人なのかを考えるようになりました」と語るキタジョウさん。「年をとるにつれて、一つの型に当てはまる必要はないのだという考えに落ち着きました」

日本人でも米国人でもなく、「自分は日系米国人だ」と話す。答えは自らの経験からたどり着いた。日本にホームステイした高校時代、日本人の友達と歩いている時は英語で話しかけられ、一人で歩いていると日本語で話しかけられたという。

自分の育った文化は独自のもの――。「米国文化からも、日本文化からも切り離されたものだと思うようになりました」と 日系人文化は、「人それぞれ違うものなのではないか。それぞれに合わせて幅を持つ文化なのではないでしょうか」と語る。キタジョウさんは、先祖の食や芸術の習慣、価値感、信条が現在の生活の一部なっていると実感する。

今年から共同代表となったミネドカの旅実行委員会は、忘れてはいけない歴史をいかに人々に伝えていくかを、熱心に考えるボランティアが集っているという。

2003年から続き、来年で12回目となるツアーについては、「続けていくだけでは不十分だと思っています。より多くの人に、より多様な人に参加してもらえるよう、常に新たな方法を探しています」と語る。

二世・三世の人々が立ち上げてきたプロジェクトも、時の流れと共に四世の人々が引き継ぐ時代となった。直接話を聞く機会が少なくなってきた世代だからこその、新たな取り組みにも期待したい。

 

* 本稿は、2015年11月13日『北米報知』からの転載です。

 

© 2015 Fumika Iwasaki

強制収容所 アイダホ州 ミネドカ強制収容所 巡礼 スティーブン・キタジョウ アメリカ合衆国 第二次世界大戦下の収容所 若者
このシリーズについて

19世紀後半に始まった日系移民も長い歴史を得て、四世、五世の活躍する姿も聞かれるようになった。シアトル郊外で活動する若い日系人が、アイデンティティーへの意識も含めて、どのような思いを持って社会活動をしているのか追ってみた。

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執筆者について

栃木県出身。津田塾大学3年生を終了後、2015年3月から2016年3月までの1年間、シアトルのベレビューカレッジへ留学。日本での専攻は、国際研究学科。多文化・国際研究に力を入れており、中でもマイノリティ・グループに興味を持っている。2015年には奨学金を取得し、ミニドカの巡礼に参加した。

(2015年9月 更新)

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