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日本伝統芸能でアメリカ人の心つかんだキャンディクラフトのマスター: 飴細工職人 一柳忍さん

スワップミートでの流しを経てセレブのプライベートパーティーへ

柔らかい状態の飴から動物などを器用に形作っていく飴細工。頭の中でその映像は確実に再生されるが、テレビを通してそれを見たのか、または実際に目にしたのかを思い出すことができない。それだけ飴細工は希少な日本の伝統芸能だといえるのかもしれない。

全米日系人博物館で飴細工を披露する一柳さん(2013年1月)写真撮影:ダリル・コバヤシ

現在、ロサンゼルスを拠点に全米、全世界を股にかけて活躍する飴細工職人、英語で表現するところの「キャンディマン」である一柳・シャン・忍さん。彼と飴細工との再会の舞台は、日本ではなく留学してきたアメリカだった。

「1971年、高校卒業後に親戚のいたロサンゼルスに来ました。英語を学ぶため、最初に通ったアダルトスクールで日本人の友達ができました。彼は18歳だった私より4つほど年上の寺沢さん。ある時、クラスメイトを集めてランチタイムに彼が突然披露したのが飴細工だったのです。子供の頃、札幌の露店で目にした光景が鮮やかに蘇りました。私は寺沢さんの腕前に感激し、彼に弟子入りしたのです」

当初は大学を出たら、一柳さんは日本に帰ってビジネスマンになる予定だったそうだ。しかし、アメリカで日本の飴細工に出会い、さらに武道家(空手)として多くの弟子を抱えるようになり、いつしか帰国の計画は消えてしまった。

「22、3の頃、最初の結婚を経験しました。アメリカ人の女房の母親のハズバンドがマックスファクターの宣伝関係の人でした。彼に飴細工を見せたところ、『これはビジネスになる』と言うのです。彼いわく、ディズニーランドやマジックマウンテンのようなところでやればいい、と」

写真撮影:ラッセル・キタガワ

実際、寺沢さんはディズニーランド勤務を経てディズニーワールドに招聘され、拠点をロサンゼルスからフロリダに移した。一方の一柳さんは、ハリウッドセレブのプライベートパーティーや企業のイベントで飴細工を披露するようになった。そのきっかけは、スワップミートでの地道なパフォーマンスだったと振り返る。

「最初の頃は南カリフォルニアのスワップミートはほとんど流しました。汗をかきかき、1個25セントや50セントの飴細工に取り組んでいたら、ある人に声をかけられました。こっちは集中したいのに仕事中にうるさいなあと思ったら、その人にセレブのパーティーで飴細工の芸をやってみるつもりはないかと言われたのです」

その後、「パートリッジファミリー」で知られる女優のシャーリー・ジョーンズや俳優チャールトン・へストン、マイケル・ジャクソン、ヒルトン一家のプライベートパーティーにキャンディマンとして呼ばれるようになり、さらにロサンゼルス・オリンピックが終了し、次の開催地であるソウルの関係者への引き継ぎを行うパーティーでも当時のトム・ブラッドレー市長の前で実演するまでになった。

人々の記憶に残る芸を形に残る芸術品に転化させたい

「プライベートパーティーで特に多いのがユダヤ人家族のバーミツバです。お金持ちのユダヤ人はこのイベントを盛大に祝います。そこに私が呼ばれて、大勢のゲストの前で飴細工を披露するのです。子供たちは身を乗り出して目を輝かせて注目してくれます。そして、何十年か経った時に別のイベントで『昔、あなたのキャンディを見た』と言われることも少なくなりません」

一柳さんの飴細工はまさに「記憶に残る芸」なのだ。バーミツバを中心にニューヨークには頻繁にイベントで飛んでいくだけでなく、旅費はクライアント負担でドバイまで駆けつけることもある。また、バーミツバのオフシーズンには、日系の夏祭りに声がかかる。まさに1年中、フル回転で飴細工に取り組んでいる。これまでのパフォーマンスの件数はゆうに8千を超えるそうだ。

思わず「作れないものはないのですか?」と、素朴な疑問をぶつけてしまった。すると一柳さんは「今はiPhoneがあるでしょう?すぐに検索してどのようなものかを把握すれば作れないことなど絶対にありません」ときっぱりと答えた。そうやって瞬時に飲み込めるのも、日頃の鍛錬と長年の経験の賜物と言えるのだろう。

一柳さんによる飴細工(写真撮影、左から:ラッセルキタガワ、リチャード・ワタナベ)

一柳さんに飴細工職人に必要な条件を聞いた。「研究を続ける努力。より良いものを作っていくために勉強を惜しまない姿勢。飴細工の楽しさを伝えることができて、技を身につけていて、そして飴細工を美しく見せることができなければなりません。そこで私は、宝石鑑定士の資格を30歳で取得しました。最高級の飴細工と宝石の美しさには共通するところがあると思ったからです。鑑定という能力を、美しい物を作り出していくことに生かしています」

そして、前述のように「記憶に残る芸」の飴細工を、「永久に残る芸術品」に転化させたいという思いが一柳さんにはある。「飴を永久に保存するのは無理な話です。お客さんの中には飴細工を保存するためにスプレーをかけて長持ちさせている人もいるようです。しかし、それでは限界があります。できれば、日本の十二支を飴で作って、それを金など永久に残るもので加工してどこかに展示できないか、そのプロジェクトに今後取り組んでいくつもりです」

時代、場所、見る者が変わっても磨き抜かれた芸は輝き続ける

北海道から飴細工修行のために渡米してきた甥のタカさん(後ろ)と一柳さん。(写真提供:福田恵子)

アメリカでも、自分以外の飴細工職人を時々見かけることがあったが、「瞬間的に活躍しても、その時だけで消えて行ってしまいました」と一柳さんは言う。「腕を磨いて続けていれば、仕事の可能性は広がり続けていくはずです。赤ちゃんだったパリスの前でキャンディクラフトを作っていたのに、その本人が成長してパーティーに呼んでくれる。また、最初に呼ばれた時は小さかった会社が大成功して規模も大きくなり、私のことを覚えてくれて声をかけてくれるのですから」

こうして、日本でも珍しくなった飴細工でアメリカ人を魅了させている一柳さん。7年前からは、その芸を甥のタカさんに引き継ぐべく厳しい指導を重ねている。「あまりの厳しさで一度は逃げ出しそうになった」とタカさんは言うが、貴重な芸術と思いを受け継ぐのだから、それだけの覚悟が必要だと今は芸道に真摯に励む日々だとか。

もちろん一柳さん自身も可能な限り、飴細工職人としての現役を続行していくと言う。そんな彼の気持ちを支えているのは、ニューヨークのメトロポリタン美術館収蔵の1枚の絵。「The Ameya」と題された、ロバート・フレドリック・ブルム作の絵画には、明治時代の日本の街角で子供たちを相手に飴を作る職人の姿が描かれている。子供たちは赤ん坊をおんぶしながらも身を乗り出して職人の手元を凝視している。それはまるでバーミツバのゲストたちが一柳さんの芸に集中するのとまったく同じ光景だ。時代が変わっても、場所や見る者が変わっても、磨き抜かれた伝統芸能の魅力は変わらない。芸歴40年を超す一柳さんに飴細工の原点を再確認させてくれるのが、この「The Ameya」という絵画なのだ。

飴細工パフォーマンスに見入る観客。全米日系人博物館にて(2013年1月)写真撮影:ラッセル・キタガワ

* 一柳さんのパフォーマンスが見られる動画サイト

http://www.youtube.com/watch?v=bo-2_4EMM1w

http://www.youtube.com/watch?v=J6PvErG0wgo

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OSHOGATSU FAMILY FESTIVAL
全米日系人博物館
2014年1月5日(日)from 11am - 5pm

新年、午年にちなんだ様々な企画を楽しめるお正月ファミリーフェスティバルデー。

世界的にも有名な飴細工職人一柳さんのパフォーマンス(12-5pm)もご覧になれます。その他にも楽しい企画盛りだくさん。是非お越しください!

詳しくはこちら(英語のみ)>>

 

© 2013 Keiko Fukuda

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