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日系ディアスポラに関する国際シンポジウム

「日系ディアスポラのパースペクティブ:日本、メキシコ、アメリカ」と題する国際シンポジウムが3月23、24、25日に行われ、大きな成果を収めた。これは、故マリア・エレーナ・オオタ・ミシマ教授追悼記念でもある。国際交流基金の積極的な助成を受けて実現した同シンポジウムには、エル・コレヒオ・デ・メヒコの三浦里美氏の呼びかけでメキシコ、米国、アルゼンチン、ペルー、日本の主要教育機関から研究者が集まり、19世紀末以降日本を出てアメリカ大陸の各国に重要なコミュニテイを築いていった数十万人の移民の状況をさまざまな視点から論じた。

このシンポジウムで発表された意義ある研究・報告をまとめるのは実に難しいことだが、大きく二つの領域に分けることができよう。一つは、第二次世界大戦までの米国、メキシコ、ペルーにおける日本人コミュニティーの状況を歴史的視点から論じた研究。レーン・ヒラバヤシ氏は1945年に強制収容所を出た日系アメリカ人たちの当時の状況を説明し、あらゆる点で全く新しい生活を余儀なくされたため、収容されていた時と同程度かそれ以上にひどいものだったとし、「トラウマ」と言える実態だったと述べた。三浦里美氏は、同時期のメキシコの新聞と映画における日系人像を取り扱い、私は、20世紀初頭から大戦勃発にかけて、日本人コミュニティがメキシコ政府のみならず、他の列強、特に米国の動きの巻き添えを食った受難の時代について説明した。アメリア・モリモト氏はやはりこの時期、日本人にペルーへの移住を許可あるいは制限した同国移民法の移り変わりを論じた。

米国のウェスリー・ウエウンテン氏、アルゼンチンのセシリア・オナハ及びシルビナ・ゴメス氏は、それぞれの国のオキナワ日系人コミュニティのアイデンティティ問題について研究発表を行い、2つの社会の一員である日系がいかに国家間の枠組みを越えたアイデンティティを新たに形成しているか、という点を力説した。同様に、日本の三澤健宏氏はメキシコにおける日系コミュニティのアイデンティティ問題を取り上げ、初期の移民であった一世、そして二世、三世の世代間変化の過程を通じてアイデンティティがどのように変容していくかということを論じた。

もう一つの大きな領域に入る諸々の研究では、近年日本に逆移住した日系コミュニティの問題が扱われた。先祖の国にやって来たこれらのコミュニティの人々はペルーやブラジルなどの国で育ち、そこで教育も受けており、そのアイデンティティにはいろいろな要素が複合した特徴が備わっている。従って、日本に戻るということは、家族や言葉、学校、仕事など日常生活関連で多々、深刻な適応の問題に直面することを意味する。このような複雑な状況に立ち向かう日系人たちについて発表したのが、作家の田村志津枝氏、山中啓子氏、竹中歩氏、およびエル・コレヒオ・デ・メヒコのマルセラ・メンデス氏である。また、日本から参加した山口元一弁護士は、同国で日系の人々が直面する法律上、労働上の一連の問題について詳述しながら報告を行った。

オオタ教授の追悼の場でもあるため、私はこの意義ある討論会を開く最初のセッションで以下の言葉を述べた。「世界の日系コミュニティ研究について論議をしに各国のスペシャリストが集まるというのは、オオタ先生の知的歩みと業績を最良の形で認めることを意味するのではないだろうか。彼女こそ、メキシコへの日本人移住という研究分野を切り拓いた人である。その提案と視点が、我が国に定住した日本人コミュニティの研究に大きな影響を与え続けているのみならず、他の国々における日系ディアスポラ研究の刺激の源にもなっていることに疑いの余地はない。」

*本稿は日墨協会 のニュースレター『Boletin Informativo de la Asociación México Japonesa』2010年5月号(No.143, Vol.XVI) からの転載です。

© 2010 Sergio Hernández Galindo

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