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「北針」研究会

大正初年、現在の愛媛県八幡浜市から近海漁業用の船でアメリカへの密航を図った人びとがいた。外務省外交史料館所蔵の「本邦人海外へ密航関係雑件」綴の中に米国移民局における取調調書や、サンフランシスコ総領事館から外務大臣に宛てた報告書、現地の新聞の切り抜き、船や乗組員の写真が残されていた。生命の危険をおかす特殊な形の移民だけに、背景にはよほど強い移民送出の要因があるに違いない。数年がかりの愛媛での現地調査を踏まえて、1987年に『アメリカの風が吹いた村:打瀬船物語』を上梓した。

外交史料館に資料が残る5回の打瀬船の航海のうちの1艘が船出した八幡浜市真網代から「北針研究会」(代表:松浦有毅)設立の話が届いたのは1994年、趣意書にはこの打瀬船航海を「豊かなアメリカ大陸に夢とロマンを胸にひめ、この浦人の若者が死と背中合わせの危険と対決し」たものであり「私たちの体中にはこの熱い血を受け継いでいることを誇りたい」とある。翌年聞いた「来年はアメリカに行きますけぇ…。あちらにも碑を建てるんですらい」という言葉もそのまま実行された。95年には「北針」のメンバー6名の上陸地への旅行に同行、翌96年には「密航者の記念碑」の除幕式に立ち会った。「密航者の子孫たち」の行動力には驚かされた。

ポイント・アリーナはサンフランシスコの北百数十マイルの太平洋岸にある小さな町である。切り立った崖の入り組んだ地形は、密航船の上陸地はかくもありなんと思われた。この地に小さな集落ができ始めたのは1860年代の初め、1866年には最初の埠頭が、1869年には製材所、その後、製糸工場、酪農場がつくられ、捕鯨業の基地になり、鯨油の生産で潤った。だが、1906年の大地震で壊滅的な打撃を受け、二度と活況を取り戻すことはなかった。真網代からの打瀬船が流れ着いたのは、その数年後のことである。

現地の総領事の報告によれば、彼らの船は伊方村豊之浦で千円で購入した80石積みの和船琴平丸で、米20俵、干魚等の副食物、飲料水を積み込み、上野留三郎を船長に「簡略ナル地図及磁針ヲ準備」して1914(大正3)年旧暦の4月14日(新暦5月20日)頃、夜半密かに真網代を出帆した。15名が乗船していたが、内4名は1900(明治33)年頃に渡米し、ワシントン州で鉄道工夫、更にカリフォルニア州ワッツソンビル周辺の農場で働いた後、1907(明治40)年頃に相次いで帰国していた。日本での生活が苦しく再渡米を希望したが移民渡航制限のため旅券が下りず、やむなく漁船による密航を試みたと供述している。伊豆大島までに28日、これより東北に向って潮流と帆だけを頼りに航海を続け、途中、天候不良、大波で船が転覆しそうになるなどの危険を乗り越え、伊豆大島を出て55日目にポイント・アリーナ付近に上陸した。上陸日の午前中に霧の中で出会った汽船に通報されたようで、8月9日、10日の両日に15名全員が捕えられ、再び琴平丸に収容されて小さい汽船に曳航され、14日にサンフランシスコ移民局に引き渡され、取調の後、日本に送還された。

1913年といえばカリフォルニア外国人土地法が成立した年で、排日運動盛んな頃である。密航者に対し在米の日系社会はどのような反応を示したのだろうか。邦字新聞『新世界』は8月14日、「極めて小さき漁船にて太平洋を横断したる是等日本人に就ては移民局官吏も其大胆なるに舌を巻きコロンバス以上の快挙なりとて法律違犯とは言ふものの大に優待し居る由」と報じている。密航者についても「是等密航者の容貌風采を見るに決して無教育なる漁夫或は百姓とも見へず…携帯品中には在米知人との往復書類村役場其他へ出願せる書類或は又日記様のものに見るも何れも渡米志願をなして許可せられず止むを得ず此の大胆なる行動をなしたるを察し得られたり」とある。同日、『日米』が義捐金の募集を開始し、9月8日現在で、新聞社に339ドル50セント、愛媛県人会に341ドル余りが寄せられている。

*本稿は、国立歴史民俗博物館による編集・発行、特集展示『アメリカに渡った日本人と戦争の時代(図録)-Japanese Immigrants in the United States and the War Eraー』(2010)からの転載です。この展示は、2011年4月3日(日)まで開催しています。

© 2010 National Museum of Japanese History

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