ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/902/

ブラジルでの日本語教育

ブラジルで日本語を勉強するのにも、日本から持ってきた本ではどうも都合の悪いところがある。ということで、コロニア版をつくろうじゃないかという話が持ち上がって、私もその呼び出されてお手伝いしたんですが、これが第1巻から勘定しますと12巻まで、通算5年間かかったわけでした。こういうことで、もう古い話ですけども、そういう本ができて、コロニアでは長い間これを使っていたようでした。


ブラジル 教育 日本人

日付:

場所: ブラジル

提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.

語り手のプロフィール

二木秀人氏は1911年7月に長野県に生まれました。1932年に「モンテビデオ丸」にて渡伯、1936年にSorocabanaの学校へ入学しました。1937年から42年にかけては大正学校の先生として勤務、閉校後も教師としての仕事を続けました。1946年には、力行会と共にサンパウロ学生会を設立。1953年にはハーモニー学生寮の創設にも貢献し、以来そこで27年間勤務しました。二木氏の功績は認められ、日本政府から勲五等瑞宝章を、ブラジルにおいては、São Bernardo do Campo名誉市民の称号があたれられました。 (1998年)

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父を理解するために日本語を勉強 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

高木一臣

スペイン語の学習(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

西村 俊治

借金の取立てにうんざりしブラジル移民を決意

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

渡伯初期の生活

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

見よう見真似で物にした仕事

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

ブラジル社会に恩返し-不足のテクニコを育成

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

西村 俊治

農工学校を通じてノウハウを次世代へ

JACTOグループ創設者 (1911-2010)

木下正夫

苦学生としてのサンパウロでの生活

負け組みの主要メンバー

木下正夫

『負け組み 』-日本敗戦認識運動

負け組みの主要メンバー

木下正夫

宗教心へのきっかけ

負け組みの主要メンバー

木下正夫

ブラジル奥地の殖民地での体験

負け組みの主要メンバー

ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

日本語学校の閉鎖と日本人の強制送還 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

児玉良一

世界を見るためにブラジルへ

笠戸丸移民