大戦中の日系パラグアイ人の扱われ方(スペイン語)
(スペイン語) 1903年にパラグアイ政府は黒人と黄色人種の入国を禁止する法を成立しましたが、少しして、その法は撤廃されました。1919年にパラグアイと日本の間で外交関係が始まりました。でも、日本人移民がすぐにパラグアイへやってくることはなく、移民の受け入れが始まったのは1936年になってからでした。もちろん、戦争になった時パラグアイはアメリカ側に立たなければならず、日独伊枢軸国に対して国交断絶を宣言しました。
が、ここで重要な点は、パラグアイ政府が常に1919年の条約を尊重したことです。そこにはパラグアイと日本の間には恒久的平和と友好関係を保たなければならないと謳われていました。パラグアイ政府は常にそれを尊重しました。当時、侮辱もなければ、強制収容所もなく、送還もありませんでした。そんなものは一切ありませんでした。もちろん、アメリカの大義を支持していましたから、学校を閉鎖したり、外交官らを日本に帰すことはありましたが。でもそれだけです。あとはすべてそのままでした。何の問題もありませんでした。そういうわけで、私たちは幸運だったと思います。パラグアイ政府は私たちに敬意を払ってくれました。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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