ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/798/

新世代のライフスタイルの変化 (ポルトガル語)

(ポルトガル語)私は、日系ブラジル人のほとんどの人と同じような、典型的な日系人の人生を生きてきたと思います。興味深いことに、私の家族は、もともとは日本の漁師でした。祖父はブラジルへ渡り、農園で綿の栽培を始め、その後、じゃがいも栽培に切り替えました。祖父の跡を継いだ父が亡くなってからは、私の兄弟が農業を続けています。

私は6人兄妹で、3人の男兄弟は今も農業に従事しています。私は長女ですが、日系コミュニティがいくつか存在し、現在は200程度の日系家庭のある内陸部の町、インタペティニンガ市を出て、1972年にサンパウロ市へ移りました。その後、私は故郷に戻ることはなく、今でもサンパウロに住んでいます。私の18歳までの生活は、今とは違い、内陸部の農村の田舎町にありました。そして、大学で勉強するためにサンパウロへ移りましたが、その後の私の人生も、日系コミュニティの中で続いています。


ブラジル アイデンティティ

日付: 2005年10月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セリア・アベ・オイは1950年イタペチニンガ市で生まれました。祖父母は広島市に近い阿多田島から1929年ブラジルへ移民し、農園で綿やジャガイモを栽培しました。両親も兄弟も同じく農業を続けました。1968年は歴史学を専攻し、1979年にカスペル・リベロ大学のジャーナリスム科を卒業しました。70年代半ばから、ニッパク新聞でポルトガル語で記事を書き始め、複数の新聞社などを通して、日系ブラジル人社会を紹介してきました。1998年からブラジル日本移民史料館の会長になりました。 (2006年7月26日)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)