ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/671/

「生涯をかける訴訟」に携わったこと (英語)

(英語) 私がコレマツ裁判の弁護団に加わったのは、法科大学院を卒業してからわずか1年か2年後のことでした。この裁判は、弁護士の多くが生涯をかける訴訟と呼べるほどの裁判だったと思います。そのいわゆる「生涯をかける訴訟」に、大学院を卒業してすぐの時点で関わることができたのは、とても貴重なことです。この裁判によって私は多くを学び、その後の私の仕事にも常に役立っています。特に、政治がいかに法律に関係しているか、そして法的決定がいかに政治的決定に複雑に絡み合い関連しているか教えられました。私が仕事にたびたび応用している法に対する見方も、この裁判によって培われたものです。それは、法律、政治、経済、社会構造そして偏見は全て互いに関係しているということです。法律は社会に存在する全ての事柄を含んでいて、切り離して存在するものではありません。そして法律は、社会変化を引き起こす道具として使われるべきだし道具になり得る、変動性のあるものなんですね。コレマツ裁判によって、私はこういった考え方ができるようになったと言えます。言い換えれば、法を享受する姿勢というよりは、法を批判的な見方で捉えることを学んだのです。


政府 法律 弁護士 (lawyers) 政治

日付: 2000年3月23・24日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: マーガレット・チョン、アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project

語り手のプロフィール

ロレイン・バンナイ氏は、1955年にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれた日系三世の女性です。大きな日系アメリカ人コミュニティがある(同州の)ガーディナで育ち、コミュニティーや政治で様々な役割を果たしていた父の影響や、教育熱心な母の影響を受けて育ちました。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に入学し、そこで日系人の歴史やエスニック・アイデンティティの問題、人種の不平等を強く意識するようになります。その後サンフランシスコ大学法学部で学び、政治や社会運動への志を強くもつようになりました。

法学部を卒業してわずか2、3年後、バンナイ氏は、コレマツ対アメリカ合衆国で1994年に米最高裁が下した判決の再審を求める弁護団に加わりました。第2次世界大戦中に退去命令に背いた罪で、コレマツ事件は連邦最高裁まで持ち込まれましたが、その連邦最高裁とは、軍事的必要性という米政府の論拠を基に、日系アメリカ人を隔離し収容することへの合憲性を支持していたところだったのです。そこで弁護団は、自己誤審令状を請願し(この事件は裁判官と検事側の弁護士が誤った事実を基にしたものだと立証し)、事件(の審議)を再開させ、退去命令の事実根拠は不正であるという証拠を提出しました。これにより、コレマツ氏のケース、およびこれに似たいくつかのケースの有罪判決を無効としたのです。このインタビューでバンナイ氏は、自己誤審令状の弁護団、日系アメリカ人コミュニティーの支援努力、このケースに関わったことで個人的に得た教訓などにについて語ります。(2000年3月24日)

A. ウォーレス・タシマ

日系アメリカ人弁護士として拒絶される(英語)

連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)

フミコ・ハチヤ・ワッサーマン

文化人類学から法学への転向(英語)

日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事

ミア・ヤマモト

アジア太平洋諸島法学生協会の共同設立

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士