ディスカバー・ニッケイ

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ジョージの母とブラッド(英語)

(英語)私たちは、結婚式で誓いの言葉を交わしました。私は彼に、私の人生の素晴らしいパートナーでいてくれたことだけでなく、私の母を介護する上でもパートナーでいてくれたことに感謝しました。母はアルツハイマー病でした。本当に大変な、困難な病気です。母は自分のことは何もできなくなったので、私は母を呼び寄せ、一緒に住んでもいいかとブラッドに尋ねました。すると彼は快諾してくれました。私は胸を打たれました。

母が一緒に住んでいた期間、残酷で恐ろしく、そして辛いアルツハイマーの全段階において、私たちは母を看ていました。本当にひどい時期もありました。怒りの段階の後、無気力が続きました。テラスに腰を下ろし、ただ茫然と庭に目をやる母の姿に胸が張り裂ける思いでした。

最終的に母は入院しました。最初から最期まで、ブラッドは息子のようにいてくれました。彼は息子でした。母は最期までずっと、ブラッドのことはわかっていました。私の弟は母に会いに来ても顔を見る程度で、面会は短時間でした。いつも「アポイントがある」、と言って急いでいました。ある日、弟が帰った後、母はこう言いました。「あれは誰?」胸が張り裂ける思いでした。母は自分の息子がわからなくなっていたのです。それでもブラッドのことはわかっていました。本当に酷い、つらい病気なのです。ブラッドは最初から最期まで私を支えてくれました。


家族

日付: 2015年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・ホサト・タケイ氏は、日系一世の父、タケクマ・ノーマン・タケイと二世の母、フミコ・エミリー・ナカムラのもと、1937年にロサンゼルスで生まれました。日本による真珠湾攻撃直後、彼がまだ5歳だった頃、タケイ家は12万の日系アメリカ人と共に米国政府から一斉に検挙され、強制収容所に収容されました。

タケイ氏は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、学士号と修士号を取得し、舞台、テレビ、映画俳優として順調なスタートを切りました。1966年には当時画期的だったテレビドラマ、『スタートレック(宇宙大戦争)』でヒカル・スールー(訳注:日本語吹き替え版ではヒカル・カトウ)大尉役に配役されました。

俳優としてのキャリアに加え、タケイ氏は、社会奉仕活動やコミュニティボランティア活動に積極的に参加しています。南カリフォルニア高速輸送地区(Southern California Rapid Transit District)の評議委員を務め、全米日系人博物館の立ち上げの際には創設より深く関わり、運営委員として精力的に活動し、惜しみない貢献を続けています。

タケイ氏は2005年に同性愛者としてカミングアウトし、LGBT1権利の提唱者として影響力を持ち、自身の体験を広く人々に語り、有名人が同性愛者に対し差別的な発言をした時はその責任を追及し、ヒューマン・ライツ・キャンペーン2のスポークスパーソンも務めています。ジョージのフェイスブックの思わず笑いがこみあげてくるユーモアや温かさは彼の人気に再び火をつけ、フェイスブックのフォロワー数を800万人に伸ばしました。

(2015年5月更新)

 

注1. LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称で、性的少数者を指す言葉。

注2. LGBTの社会的平等化を推進するアメリカの人権団体

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。