ディスカバー・ニッケイ

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ジョージとブラッドの結婚式(英語)

(英語)ブラッドと私が結婚できたのは、我々の民主主義のお陰です。議論や討論、苦悩の賜物です。2008年、カリフォルニアで結婚の平等が認められました。非常に重要な出来事でした。

私たちは博物館の成功や拡張、デモクラシー・フォーラムの建設に貢献してきたので、民主主義(デモクラシー)のフォーラムで結婚したいと思いました。当時はタテウチ財団の支援を受ける前でしたから、単にデモクラシー・フォーラムと呼ばれていました。今ではタテウチ・デモクラシー・フォーラムと呼ばれています。私たちはここで結婚することに決めました。

私たちは披露宴もしたかったので、アラタニ・ホールで夕食会と披露宴をすることにしました。素晴らしい会場で広さも申し分なく、友人や親戚をみんな呼んでお祝いすることができました。それから多様性をテーマにしたいと思いました。ブラッドと私は多様ですから。彼はスコットランド、イギリス、ドイツ系です。そして私は日系アメリカ人。このことを結婚式に反映させたかったのです。

招待客は琴奏者の演奏でデモクラシー・フォーラムに迎え入れられ、素晴らしい才能の持ち主であるフィリピン系のピアノ奏者が結婚式で演奏しました。入場曲はブロードウェーイ・ミュージカル『コーラスライン』の「ワン・シンギュラー・センセーション」です。式が終わり、スコットランドのバグパイプ奏者の誘導で、友人や親戚と共にデモクラシー・フォーラムから中庭を抜け、アラタニ・ホールに移動しました。アラタニ・ホールでは、ロフトの上からゲイ・メンズ・クワイヤが讃美歌を歌ってくれました。そのロフトはまだ一度も使われたことがなかったので、そこから聖歌隊が歌ってくれたらどんなにか素晴らしいだろうと思ったのです。上の方に備え付けられたスペースをそのように使ったのは私たちが初めてだったと思いますよ。

プロの歌手やブロードウェイ俳優の友人たちのお陰で、私たちは素晴らしく多様なみなさんと共に結婚を祝うことができました。そしてデモクラシー・フォーラムは、私たちが結婚するには完璧な場所でした。


デモクラシー・フォーラム LGBTQ+ 人々 全米日系人博物館 全米日系人博物館(団体) 多様性

日付: 2015年2月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、ジャニス・タナカ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジョージ・ホサト・タケイ氏は、日系一世の父、タケクマ・ノーマン・タケイと二世の母、フミコ・エミリー・ナカムラのもと、1937年にロサンゼルスで生まれました。日本による真珠湾攻撃直後、彼がまだ5歳だった頃、タケイ家は12万の日系アメリカ人と共に米国政府から一斉に検挙され、強制収容所に収容されました。

タケイ氏は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で演劇を学び、学士号と修士号を取得し、舞台、テレビ、映画俳優として順調なスタートを切りました。1966年には当時画期的だったテレビドラマ、『スタートレック(宇宙大戦争)』でヒカル・スールー(訳注:日本語吹き替え版ではヒカル・カトウ)大尉役に配役されました。

俳優としてのキャリアに加え、タケイ氏は、社会奉仕活動やコミュニティボランティア活動に積極的に参加しています。南カリフォルニア高速輸送地区(Southern California Rapid Transit District)の評議委員を務め、全米日系人博物館の立ち上げの際には創設より深く関わり、運営委員として精力的に活動し、惜しみない貢献を続けています。

タケイ氏は2005年に同性愛者としてカミングアウトし、LGBT1権利の提唱者として影響力を持ち、自身の体験を広く人々に語り、有名人が同性愛者に対し差別的な発言をした時はその責任を追及し、ヒューマン・ライツ・キャンペーン2のスポークスパーソンも務めています。ジョージのフェイスブックの思わず笑いがこみあげてくるユーモアや温かさは彼の人気に再び火をつけ、フェイスブックのフォロワー数を800万人に伸ばしました。

(2015年5月更新)

 

注1. LGBTとは、レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性の不一致)の頭文字をとった総称で、性的少数者を指す言葉。

注2. LGBTの社会的平等化を推進するアメリカの人権団体

高塩 明

ゲイを相手にビジネス

新一世、居酒屋と割烹のレストラン「本多屋」の社長