ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1087/

「ニッケイ」とは(英語)

(英語)一世に始まり、二世、三世、四世、五世と広がってきて、でもどこかでその呼び方を止めることになり、誰が考えたのかは知りませんが、一括りにする言葉を考えようとしたのでしょう。日系二世だけでなく、アメリカ在住の日本から来た日本人や、アメリカ在住の全ての日系アメリカ人を指す、「ニッケイ」という呼び方に行き着いたのだと思います。そうでしょう?

全ての日系人を指すので、ブラジルや他の国から来た人にも当てはまります。でも、「ニッケイ」というと、米国に住んでいる日系アメリカ人を僕は思い浮かべますね。いや、ブラジルに住む人たちにも当てはまるでしょうね。そういう意味で、「ニッケイ」は、日系人の中に含まれるわけです。つまり、「ニッケイ」という言葉は、日本国外に住む日系の人、という括りに区分できますね。これが僕の解釈です。


ハワイ アイデンティティ 日系アメリカ人 日系 アメリカ合衆国

日付: 2005年3月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セドリック・シモ氏は、1919年に生まれ、ロサンゼルスの多人種が混在する地区ボイルハイツで育ちました。シモ氏は、ボーイスカウト活動や剣道に取り組み、日系人スポーツクラブのクーガースでも活発に活動しました。シモ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍していましたが、真珠湾攻撃の次の日、徴兵令状を受け取りました。彼は、アメリカ陸軍情報部語学学校への配属を希望しました。しかしながら、休暇中にマンザナーに強制収容された母親への訪問を禁じられたことに激怒し、外国戦線への参加を拒否しました。その結果、彼は、工兵第1800大隊に配属されました。この部隊には、疑いをかけられたドイツ系、イタリア系、日系人が配属され、戦闘隊が訓練中に壊した道路、橋、フェンスの修復工事にあたりました。シモ氏は、工兵第1800大隊を名誉除隊した後、ボイルハイツへ戻り、ホンダに就職し、輸出担当部門で副代表となりました。

2008年11月20日、日本政府は、日米貿易摩擦が問題となった時期、当時ホンダで働いていたシモ氏が、両国間の貿易推進に寄与したことを評価し、旭日双光章を授与しました。

2020年4月、100歳で亡くなりました。(2020年4月)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。