ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1076/

こみ上げる怒り(英語)

(英語)基礎訓練の後、または最中だったかもしれませんが、休暇を取ることができたので、ロサンゼルスに行きました。退去命令の話が出ていたので、僕は母の荷造りを手伝い、その後、僕が剣道やボーイスカウトのミーティングをしていた日本人学校へ行くと、大勢が教室に荷物を運び入れていました。僕は、「一体何が起こっているのですか?」と尋ねました。「彼らはターミナルアイランドから来ているのだが、追い出されたんだ。行くところがないのでここに来た」と言うのです。それで僕は、どうして追い出されることになったのか尋ねました。僕は、その頃から何かが間違っている、と思うようになりました。

怒りで血が煮えたぎるような思いをしたのは、それが初めてだったと思います。 軍隊では、基礎訓練を受けていた頃から様々な人種の人がいて、人種問題はありませんでした。予備将校訓練課程(ROTC)にも少し参加し、ボーイスカウトもやりました。密集隊形での訓練の時には、軍曹は僕が日系であることを知った上で、僕に隊を率いるよう命じました。もちろん訓練上のことではありましたが、隊を率いたのです。軍隊で差別を感じたことはありませんでした。その後、将校になるための訓練に申し込みましたが、「申し込み資格がない」と言われ、下士官になるためのコースに進みました。その時は、僕が日系人だからだな、と察しはしましたが、誰かを責めたりしませんでした。世の中そんなもの、と流していたのです。でも、ターミナルアイランドからの「追放」とも言える扱いに、僕は初めて怒りを感じました。


アメリカ カリフォルニア ターミナル・アイランド 人種差別 対人関係 差別

日付: 2005年3月25日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

セドリック・シモ氏は、1919年に生まれ、ロサンゼルスの多人種が混在する地区ボイルハイツで育ちました。シモ氏は、ボーイスカウト活動や剣道に取り組み、日系人スポーツクラブのクーガースでも活発に活動しました。シモ氏は、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に在籍していましたが、真珠湾攻撃の次の日、徴兵令状を受け取りました。彼は、アメリカ陸軍情報部語学学校への配属を希望しました。しかしながら、休暇中にマンザナーに強制収容された母親への訪問を禁じられたことに激怒し、外国戦線への参加を拒否しました。その結果、彼は、工兵第1800大隊に配属されました。この部隊には、疑いをかけられたドイツ系、イタリア系、日系人が配属され、戦闘隊が訓練中に壊した道路、橋、フェンスの修復工事にあたりました。シモ氏は、工兵第1800大隊を名誉除隊した後、ボイルハイツへ戻り、ホンダに就職し、輸出担当部門で副代表となりました。

2008年11月20日、日本政府は、日米貿易摩擦が問題となった時期、当時ホンダで働いていたシモ氏が、両国間の貿易推進に寄与したことを評価し、旭日双光章を授与しました。

2020年4月、100歳で亡くなりました。(2020年4月)

ジェームス・ヒラバヤシ

家族に恥をかかせないように (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

ジェームス・ヒラバヤシ

中東での過去と現在の関係 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

バーバラ・カワカミ

兵士たちを手助け (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

バーバラ・カワカミ

沖縄出身者への差別 (英語)

日本人移民の衣服専門家・研究者

ユリ・コチヤマ

白人と同じ権利を求めて(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

立ち退き命令を知らないカリフォルニア人(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

ターミナル島 / サンペドロ(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

真珠湾攻撃の日(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

病院に入った戦時捕虜としての父(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

愛国心 VS. 忠誠心(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

戦前の赤・白・青の理想(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

収容所のポジティブな側面(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ユリ・コチヤマ

一世と二世の一斉検挙(英語)

公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)

ワカコ・ヤマウチ

真珠湾攻撃後のカリフォルニア州オーシャンサイドでの日系アメリカ人学生としての経験(英語)

アーティスト・劇作家。(1924 - 2018年)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)