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日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8

その6>>

『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女に関する記事が『ポストン文藝』を賑わしている。彼女は1934年に日本へ行き、5代目藤間勘十郎のもとで名取りになった若い二世である。

日系社会には各流派の名取りがいて、それぞれ弟子を養成していた。生活が安定すると子女に日本舞踊を習わせて、日本的な立ち居振舞を身につけさせ、日本の古典芸能を理解できるようにするのが、親の願望であり、ステイタス・シンボルにもなっていた。とくに収容所内では様々な稽古事が盛んで、古典芸能などに縁がなかった人でも日本舞踊を習うことができた。

勘須磨はアーカンソー州ローワー収容所に送られたが、特別の許可を得て慰問のため各収容所を巡り、1944年10月にポストンへ到着した。『ポストン新報』紙は「勘須磨きたる」(44年10月19日付)と大見出しで報じた。独身で40代の一世・翠川敏(北村敏夫)は勘須磨の熱烈なファンであった。彼は『ポストン文藝』に7回(44年12月号~45年9月号)、新聞の日本語版に1回(44年11月9日付)勘須磨を賛美する記事を書いている。翠川は歌舞伎や舞踊などに造詣が深かったようで、日系社会では彼のように古典芸能の振りや歌詞にいたるまで理解できる人は少なかったであろう。

演目は古典のほか、誰にも理解できる歌謡曲や俗曲に振りつけをした「新舞踊」もあった。『ポストン文藝』は勘須磨に関する記事だけでなく舞台写真も載せる(1945年新年号、9月号)という熱の入れようであった。そのほかにも日本舞踊公演があったはずだが、ほかは貴家璋造の「花柳徳八重さん」(45年7月号)のみであるから、いかに勘須磨が人気者であったかがうかがえる。

『ポストン文藝』には多くの文学、人物、歴史など日本に関する記事が掲載されている。それらは収容所生活に題材を求めた詩や短編小説とは異なり、それを読むことによってあたかも日本にいて日本の雑誌を読んでいるような錯覚を読者に与えたのではないだろうか。また読者もそれを求めていたのかもしれない。いずれにせよ他の収容所雑誌と比較すると『ポストン文藝』にはその種の記事が多い。

谷川江浦草(石丸九十九)は東大卒の呼び寄せ一世で、ポストンきってのインテリと言われた人物であるが、「刀の話」(44年10、11、12月号)は時代を追った日本刀の歴史である。これと同種の連載に新関惣太郎(にいぜき・そうたろう)という一世の一連の化石と宝石についての話がある。新関の経歴などは不明だが、所内では「宝石博士」と呼ばれていたそうで、たぶん専門家であったと思われる。化石について4回、宝石に関して5回の連載がある。

久留島實夫の「ポストン絵物語」(45年5月号)はポストン生活のひとこまを漫画ふうなタッチで描いたものだが、この中に「石磨き」という場面があり、人びとが暇にまかせて美しい石を拾ってきては研磨し、アクセサリーを作っていたことがわかる。絵によれば研磨の機械も本格的に揃えていたようだ。新関の記事はこのような収容所の「宝石ブーム」に火をつけたのかもしれない。

所内の趣味のグループの活動を支えたのは大岡周洋「吟詩漫筆」(44年11、12、45年1、2、5月号)、岡本實「碁漫談」(45年2月号)、K生「追分節と其起源」(44年4月号)、鈴木胡仙「漢詩と吟詠」(45年7~9月号)、羽根政春「謡曲漫筆」(45年2月号)、深田敬「彫刻の話」(44年12月号)、山中俚汀「俳句の概念」(44年3、4月号)などがある。

スポーツ関連では人気のあった相撲について植野直人の「相撲と日本精神」(45年8月号)がある。著者はいずれも一世である。日本の有名な人物を題材にしたものをあげると、可養亭「曽呂利新左衛門」(44年4月号)、甲陽散人「温故知新」(44年3月号)では馬場辰猪、板垣退助、原担山をとりあげている。題材となったおもな人物をあげると、千崎如幻「阿倍仲麿」(45年6月号)、土屋天眠「小泉八雲」(44年7月号)、「物外和尚」(44年9、10月号)がある。

長谷川蒼逸(宗一)にはこの種の作品がもっとも多く、「小督局」(43年7月号)「源義家」(44年8月号)、「梶原景季」(44年9月号)、「源実朝」(44年12月号)、「源義光」(45年2月号)を書いた。福住正兄「二宮翁夜話」(44年9月号)もあり、登場するのはすべて日本の歴史上有名な人物である。これらは日本をしのぶ読物として読者に喜ばれたであろう。人びとはこれらを読むことで、望郷の想いを紛らせたのである。

日本人以外ではバイロンとシェリーを論じた長谷川蒼逸「英国の二大詩人」(44年3、4月号)、ウォーキン・ミラーとジャック・ロンドンを紹介した野田夏泉「大詩人と文豪」(44年7月号)がある。詩人ミラーはオークランドの郊外の山荘で隠遁生活を送り、ヨネ・ノグチや、菅野衣川など詩人をこころざす日本人をその山荘に受け入れ、生活をともにしたことで、文学青年たちの間でよく知られた存在であった。

野田夏泉(實造)は1889年生まれの呼び寄せ一世で、1915年、中学を退学したのち渡米、戦前からロサンジェルスで「日本書店」を経営していた。 詩、短歌、随筆、論文を書き、書道もかなりの腕前という多才で器用な人である。日本史や文学の知識も豊富で、「日本書紀と和歌」(43年5月)、「古事記、日本書紀と和歌」(43年7月号)、「大和民族の起源」(45年7、8月号)などの啓蒙記事がある。

作者の中で僧侶は「如是我観」(44年4月)、「学書訓」(44年9月号)の石原慈禎(芳竹庵)、千崎如幻(『ハートマウンテン文藝』解題参照)、キリスト教の牧師は「私のねがひ」(44年7月号)の岩永天涙(友記)、「街頭の宗教」(45年1月号)の三谷真種である。三谷は青山学院神学科出身の一世で、ベイカースフィ-ルド日系メソジスト教会の牧師であった。

このように『ポストン文藝』の内容はたいへん複雑で、多種多様な作品が盛り込まれて、あらゆる趣味の人びとに読まれるように工夫されていた。

その8>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

issei Japanese literature kibei nisei Poston World War II

About this series

日系日本語雑誌の多くは、戦中・戦後の混乱期に失われ、後継者が日本語を理解できずに廃棄されてしまいました。このコラムでは、名前のみで実物が見つからなかったため幻の雑誌といわれた『收穫』をはじめ、日本語雑誌であるがゆえに、アメリカ側の記録から欠落してしまった収容所の雑誌、戦後移住者も加わった文芸 誌など、日系アメリカ文学雑誌集成に収められた雑誌の解題を紹介します。

これらすべての貴重な文芸雑誌は図書館などにまとめて収蔵されているものではなく、個人所有のものをたずね歩いて拝借したもので、多くの日系文芸人のご協力のもとに完成しました。

*篠田左多江・山本岩夫 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。