菅沼 佐和子

(すがぬま・さわこ)

神奈川生まれ。2002年から約3年半かけて、ユーラシアとアメリカ、アフリカ大陸の一部をバックパック旅行する。旅の経験を活かし、現在は東京を拠点にフリーランスの旅行ライター・編集者として活動している。

(2012年12月 更新) 

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赤土の大地と生きる―パラグアイ日系人 - その2

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実はおいしい出稼ぎ

日本の友人や日本人旅行者から、日系人の出稼ぎが会社にいるとかいたとかいう話を聞くことがある。そんな時、かつて全く知識がなかった私は「かわいそうに」と思ったものだった。せっかく夢と希望を抱いて地球の裏側に移住をしても、やっぱり生活が苦しくて日本で働かざるを得ないのだ、と。

しかし南米を旅するうちにまた別のことが分かってきた。それは「ここに住んでいて日本に出稼ぎに行ったら、がっぽり稼いで帰ってこられる」ということ。日本とパラグアイの経済格差は激しく、今日本で働けばこちらでは到底不可能なほどの大金が入る。それをもとでに帰国後事業を始めることも可能だ。それに日系人は3世までは日本で単純労働ができる優遇措置がとられている。つまり全く他国の人が日本に出稼ぎするよりは、よほど簡単なことなのだ。実は移民とは、出稼ぎをすることによってかなりおいしい思いをしているのではないかと思う。

もっともこれも一方的な見方で ...

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赤土の大地と生きる―パラグアイ日系人 - その1

イグアスを訪問する

「お客さん、42km地点に到着したよ」

車掌さんが親切に知らせに来てくれたので、うとうとしていた私は荷物をひっつかみ慌ててバスを降りた。そこはありふれた幹線道路沿いの集落前で、ガソリンスタンドや閉まりかけた商店が連なり、ひっそりと闇の中にたたずんでいる。こんな道沿いの小集落なんぞ完全に無視して、車はびゅんびゅんと通り過ぎて行く。

これはとんだ所に着いてしまった。大丈夫なんだろうか?この地に関する情報もほとんどないまま来てしまい、さらに暗いため不安が増していた。なにより日本語の看板が周囲にひとつも見当たらない。何かありそうな場所にはとても思えないではないか。

私は日本人入植地のひとつ、イグアスを訪ねて来たのだった。

パラグアイには日系人が多く住み、これまで訪れた都会でもたくさん見てきた。しかし移民がおもに従事する農業を営む人々には会えなかったし、集まって農村に住む人の暮らしも気になっていた。さらにはパラグアイの美しい田舎も訪れてみたかった。だからエンカルナシオンの宿にあった情報ノートにイグアス居住区についての記述を見つけると、そのわずかな情報だけを頼りにやって来たのだ ...

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日系ペルー人・メチェに出会って - その2

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メチェのおばの家に行く

日本人の珍客・私がいるのを見つけたメチェは、彼女のおばの家に招待してくれた。彼女の実家は北部ピウラにあるのだが、おばの家はリマにある。

閑静な住宅街に建つ1軒の家がそれだった。外観はペルーのほかの家とほとんど変わらない。メチェは大学を出た後MBAの資格をとったという高学歴の持ち主で、現在は大学で働いている。そしてこの家の構えもペルーでは恵まれた方に入ることを考え合わせれば、日系人がペルーである程度の成功をおさめていることが理解できる。

家の中に通されても、とくに日本的な感じはない。しかしメチェのおばの家族は、みな日本人にかなり近い顔をしている。何世代かが一緒に暮らしているので、人が多くて誰が誰だか分からない。

「あのおじさん、本当に日本人みたい」

私がメチェに耳打ちした言葉が、たまたまそこに来ていたメチェのお兄さんに聞かれて笑われてしまった。

「さあさあ、食べてください ...

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日系ペルー人・メチェに出会って - その1

メチェとの出会い

南米、特にブラジル、ボリビア、ペルーを旅すると、雑多な人が混じって暮らすなかに、特別に私たちの関心を引く人々がいる。それは私達と同じルーツをもつ日系人の存在だ。

かつてフジモリ氏が大統領になったことで、日系人が多いことが日本人にも知られるようになったペルー。またこの国は南米で最初に日本人が移民した国でもある。現在ペルーに住む日系人は政界をはじめとする各界で活躍し、不動の地位を占めているという。

祖国を遠く離れた日本人たち。いったいどんな苦労をし、今はどんな生活をし、そして日本をどう思っているのだろうか。普通の旅行者に移民と話すきっかけはなかなか訪れないが、リマ滞在時に思いがけないところからそのチャンスがめぐってきた。それはメチェという32歳の女性に出会ったのが始まりだった。

私はリマに滞在中、ペルー人の友人宅にお世話になっていた。彼ダニエルの一族は親戚同士のつながりが強く、しょっちゅう寄り集まってはパーティーを開いていた。私も何度かそれに呼ばれ ...

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