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第1回 「アメリカのウチナーンチュの魅力、世界に伝えたい」山内優子さん
2012年7月に南米ブラジルのサンパウロで開かれた世界若者ウチナーンチュ大会が、2013年には舞台をロサンゼルス郊外トーランスに移して開催される。同大会は、沖縄にルーツを持つ移民たちが、5年に一度、…
福田 恵子 • 2013年4月25日
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第十話 キミコの再出発
100年以上前にブラジルに渡った移民たちは、いつかは日本に戻れると思っていた。1980年代から日本に行き始めた逆デカセギのほとんども、いつかはブラジルに戻れると信じていたのだろう。しかし、世の中はそ…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2013年4月23日
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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その3/3
その2 >> その他の元鉄血勤皇隊の方々の今沖縄タイムスの本社において安里記者、安里さんらにインタビューをしたのち、わたしたちは琉球新報の本社を訪問して、内間記者とジャーナリストの上原正…
郷 崇倫 • 2013年4月18日
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「南米日系人のソフトパワー」〜自国でソフトパワーなり、日本との架け橋にも〜
「ソフトパワー」とは、アメリカのハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が2004年に提唱した概念である1。それは、国家がハードパワーという軍事力や経済力等だけに頼らず、その国の文化や価値観、外交政策によ…
アルベルト・松本 • 2013年4月16日
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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その2/3
その1 >>鉄血勤皇隊―沖縄諸島における戦争体験 沖縄に到着した翌日、わたしは沖縄タイムスの本社にて、沖縄タイムスの安里記者、当時少年兵だった安里祥徳さんと彼の親戚安里洋太郎さんから詳し…
郷 崇倫 • 2013年4月11日
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父の日記(2) 横山家の思い出
81歳で他界した父は、神戸港を1933年2月に出航したありぞな丸で、移民として19歳の時、一人で来伯した。その父の古い日記帳をめくっていたら「船中思い出」と言う題で、1940年11月23日に書かれた…
宮村 秀光 • 2013年4月9日
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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その1/3
オオタさん“だけ”の戦争体験オレンジ郡はタスティン(Tustin)市内に住むピーター・オオタ(Peter Ota)さんは、沖縄出身(現在の沖縄県うるま市)の日系一世を父に持つ…
郷 崇倫 • 2013年4月4日
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パラグアイでラテンアメリカ日系社会の展望を議論
パラグアイは、南米中部に位置しており、アスンシオン国際空港で売られているTシャツには「CORAZON DE AMERICA(アメリカ(南米)の心臓)」と描かれている。内陸の国で、ブラジルとアルゼンチ…
アルベルト・松本 • 2013年4月2日
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父の日記(1) あの時、私は…
その当時、父はサントスで歯の技工士の仕事をしていた。28歳で独身の身であった。後に、ある白人歯医者の名義を借りて正規ではなかったが、歯医者として開業をした。その頃の苦しい生活や失敗談、お世話になった…
宮村 秀光 • 2013年3月28日
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第1回(後編) ロサンゼルス西南地区(クレンショー・ディストリクト)
前編を読む>> 一体、西南地区の日系人はどうしてどこに消えてしまったのか? その問いに、西南シニアセンターのプレジデントである柴邦雄さんが答えてくれた。
「私が思うに、ワッツの暴動が一つのきっ…
福田 恵子 • 2013年3月26日