ジャーナルの検索
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アメリカと私
過ぎ去って手の届かない所に行ってしまってから、思い出すことは多すぎる。
私は、戦中から戦後も軍需工場だった飛行機会社で働いていた。戦争も末期、飛行機の材料であるジュラルミンが少なくなり、木製機を設計…
島崎 貞子・アプルバーム • 2012年3月6日
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私と「県人会」の出会い
「南米旅行はいかがでしたか。長旅ですからお疲れになられたのではありませんか。」
エコノミークラスに、二人仲良く静かに座られているお客様に声をかけた。食事のサービスの時、あれこれいくつも注文をするお客…
向井 正子 • 2012年2月28日
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『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その5/5
その4>>4. 終刊までの経緯と『南加文藝』が果した役割創刊号は200部発行されたが、発行部数は次第に増えて第21号から25号までは倍の420部になった。藤田を中心にした熱心な合評会も毎号欠かさず開…
篠田 左多江 • 2011年11月25日
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『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その4/5
その3>>水戸川光雄は、トゥーリレイクの『鉄柵』時代からキラリと光る短編を書いて、その才能の片鱗が見えたが、『南加文藝』でも藤田に劣らず多くの作品を発表している。彼は第2号から23篇の短編小説を載せ…
篠田 左多江 • 2011年11月18日
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『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その3/5
その2>>3.『南加文藝』の内容『南加文藝』の作品には三つの流れがある。第一は戦前から創作を続けてきた一世の作品である。これらの人びとにはまず加川文一が挙げられるが、その他、文一夫人の桐田しづ、外川…
篠田 左多江 • 2011年11月11日
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『南加文藝』-ロサンゼルスに根づいた文芸誌 -その1/5
『南加文藝』はアメリカでもっとも長続きした日本語による文芸同人誌である。第二次大戦中、ヒラリヴァー強制収容所の『若人』に始まった帰米二世の文芸活動は、トゥーリレイク隔離収容所の『怒濤』、『鉄柵』を経…
篠田 左多江 • 2011年10月28日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その8/8
その7>>4.『ポストン文藝』の特色と果たした役割『ポストン文藝』の第一の特色は、特定の集団ではなく一般の収容者を対象とした総合雑誌であったこと。内容は文学のみならず、様々な娯楽的要素をもった読物や…
篠田 左多江 • 2011年8月19日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その7/8
その6>>『ポストン文藝』を多彩な総合雑誌にしているのは、芸能の記事や写真が華いだ雰囲気を添えているからであろう。この時期にもっとも人気のあったスターは、日本舞踊家の藤間勘須磨(濱口須磨子)で、彼女…
篠田 左多江 • 2011年8月12日
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望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その6/8
その5>>かつて日系人の文学は短詩形文学中心であったことから、この『ポストン文藝』の中の短詩形文学作品の数はたいへん多い。
詩の分野では第一に外川明の名をあげることができる。彼は1903年、山梨県南…
篠田 左多江 • 2011年8月5日