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東京五輪・日本生まれの柔道ブラジル代表 - エドアルド・ユージの挑戦 - その2

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国籍の壁にぶち当たり“見知らぬ母国”へ

高校卒業後、国際武道大学に入学。1年生の時に関東学生大会で2位に入賞した。本来なら国際大会への登竜門「講道館杯」の全日本ジュニア大会へ出場できるはずだったが、ブラジル国籍だったことが理由で出場権が剥奪されたという。

「両親共にブラジル国籍。その流れで自分もブラジル国籍。国籍は20歳になると選ぶことができるけど、当時はまだ19歳だったので、選択権がなく自動的に講道館杯の出場権が無くなりました。その時は、仕方ないと思いつつもショックでしたね。その国籍の問題もあり将来のことも不安になりましたね。日本で柔道をしてきた人は引退後、教師や警察など公務員になることが多いですが、ブラジル国籍だと公務員になれないのでお先真っ暗で悩んでいました」と国籍の壁に当たったことを語る。

そんな国籍の問題で悩むユージ氏が渡伯したきっかけは、ブラジルから国際武道大学に交流試合に来ていたクラブチーム「アカデミア・メルカダンテ(Academia Mercadante)」から当地での試合出場を誘われたことだった。

誘われるままにブラジルに1週間滞在し、柔道ジュニアクラス大会に出場し優勝した。

「大学にブラジルのチームが国際交流として練習に来ていた際、そのチームに国籍の問題で公式試合に出場できない事を伝えると、『ブラジルの公式試合にでてみないか?』と誘われました。そして1週間ブラジルに滞在しジュニア大会に優勝。それがきっかけで、『どうせ日本で活躍できないなら一か八か、ブラジルで挑戦しよう!』と決断しました。大学を中退し、借りていた奨学金など両親に払ってもらい迷惑をかけました。ですが、両親は自分が柔道や将来で悩んでいた事を理解していたので、全面的に後押ししてくれました」と感謝する。


ポルトガル語ゼロ

練習するユージ選手(左)

そして、ユージさんは改めてブラジルに渡り、柔道有名選手を数々排出するブラジルの名門クラブチーム「スポーツクラブ・ピニェイロス」の入会テストを経て合格。14年に同クラブに所属することとなった。当時はポルトガル語の読み書きがほぼできなかったため、サンパウロ市に住む姉2人を頼りきりだったという。

「言葉には本当に苦労しました。実家では両親はポルトガル語で話して、自分は日本語で返す会話だった。日常会話の聞き取りぐらいできるだろうと思っていましたが、現地の人は話すのは早いし地方の訛りもあって、聞き取りや会話に本当に苦労しましたね。ポルトガル語の書類がきたら全部姉に丸投げでした」と恥ずかしそうに語る。

「特につらかったのはSNSでのメッセージ。試合の為に乗るバスの集合場所連絡などもチームのグループメッセージに送られても何が書かれているのかさっぱりわからないので、今より性能が低い翻訳アプリで調べて迷いながら集合場所に行くなど…。ずっと言葉に集中しないといけない日々で大変でした。仲間にもブラジルらしいピアーダ(冗談話)を話せないことをよく馬鹿にされ悔しい思いをしました。でもそんな悔しさをバネに会話の勉強をしたので、今はもう大体の言葉は理解できて話もできます。逆に自分が仲間に冗談を言い返しますよ」と笑う。


背水の陣で踏ん張る

ブラジルのプロスポーツクラブに所属する選手はクラブから給料を毎月で貰うが、所属当初は薄給だという。大会で好成績を納めれば給料があがり、さらに代表メンバーになると別途国から補助金も受給される。

また、メダルが有望視される選手を軍が支援する制度「Programa Atletas de Alto Rendimento (PAAR)」(高返益選手育成制度)にも選ばれた。3軍が分担して「三曹」待遇を有望選手に与え、月給の支給および軍スポーツ施設や医療制度の利用を許可する制度だ。軍の通常の訓練はスポーツ選手であることを考慮し年1回の合宿のみで免除される。

同氏は14年から同クラブに所属。16年にはリオ五輪テスト大会優勝や17年パンアメリカ柔道選手権大会優勝、18年の世界軍人選手権大会優勝、19年パンアメリカン競技大会優勝などの好成績を残している。

父ジェレミアスさんとユージさん(コロナ禍前の撮影、本人提供)

「クラブチームに所属して1年目は給料が月400レアルのみ。当時は寮もなかったので、先輩と自分の5人で家を借りて家賃は一人当たり700レアル。それに加えてサンパウロは生活費も高いし貯金もないので、父に一年だけ家賃の負担をお願いしました。『一年で結果が出なかったら日本に帰国する』と約束しましたよ。結果、1年後には無事良い成績を出し、昇給に加えて国からの補助金も支給されるようになりました。約6年たった現在は自立できるようになりました。まさに背水の陣でしたね」と語る。

同クラブチームの柔道コーチはチアゴ・カミーロ氏とレアンドロ・ギレイロ氏。どちらも過去に五輪柔道で入賞した実績をもつ名選手であり名コーチだ。両者については「本当に尊敬している。スポーツは慣れに身を任せてしまう瞬間があるが、二人は常に最善の策を考えて指導していて本当に勉強になる」と尊敬している様子。

6月13日にハンガリーで行われた国際柔道連盟(IJF)の「2021年世界柔道選手権ブダペスト大会」で世界ランキングが決定。東京五輪出場条件は世界ランキング18位内だが、18位にギリギリ入り出場が決定した。

「選考試合が終わって五輪出場が決まりホッとしています。やっとスタート地点にたった気持ちです。目標はもちろん金メダル。そのためにも日頃の練習の成果を試合で出し切りたい。そして金を取ったら皆に見せて、自分の日本やブラジルでのこれまでの体験談を話したいです!」

ユージ選手は「今まで辞めたいと思ったことは何度もあります。でもそのたびに両親や姉、家族、高校の先生の事が脳裏に浮かんで力がみなぎってきます。今回の五輪でもその人達の思いを背負って全力で頑張りたい。また次のパリ五輪にも出場して金メダルを狙いたいです」と力強く語った。

練習後、黙想するユージ選手(左から2番目)

 

*本稿は、「ニッケイ新聞」(2021年7月7日8日)からの転載です。

 

© 2021 Takahiko Yodo, Nikkey Shimbun

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