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インタビュー:切り絵作家 曽我部アキさん ― その2

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作品作りは「お客さま第一主義」で

制作に当たって大切にしているのは、買い手となる「お客さま」だと強調するアキさんは、いつも感謝を忘れない。ある年、ベルビュー美術館のアート・フェアで、オリジナル作品を注文した女性がいた。やっと子どもが大学を卒業し、生活に余裕ができたので、念願だったアキさんの絵を買うことに決めたと言う。

「本当にうれしかったから、お祝いに、かなりおまけしてあげました(笑)。ありがたいじゃないですか。絵なんて、食べ物と違って、なくてもいいものなんだから。そういう感謝の気持ちで作るの」

人気作家でありながら、その謙虚な姿勢が印象的だ。「作ったあとは、自分の絵を2、3日経ってから見る。そうすると『何これ、ここがおかしいや』っていうのが見つかる。『人前に出せない!』なんて絵は何枚もありますよ。作品は愛しているけれど、うぬぼれない、満足しちゃいけない、という精神でいます」

何枚か絵を作ると必ず壁にぶつかる時期がやって来る。自分の作品を卑下すると、息子に「そんなことはない。これがいいって言うお客さんもいるはずだ」と叱られることも。

「こんな絵でいいのか、全然上達していない、と悩むことはしょっちゅう。でも、夕飯のおかずを作っていても何をしていても、結局は頭のどこかで次の絵のことを考えている。とにかく続けて続けて、次はもっと良いものを作ろう、お客さんに喜んでもらおうって、いつもそれだけです」

ストップしたら終わりだと、常に走り続けてきた。「月の絵がとても好きなんです。月の昇り始める頃の木々の風景を見て、昔はドライブしながら、『いつか、こういう絵を切りたいな」とよく言っていたのですが、最近は夜景を見ると息子が『お母さんの切り絵みたい』と言ってくれます。こういう絵が切れるようになったんだなぁと思います」


アーティストとしてのチャレンジ

2016年、ワシントン州日本文化会館(JCCCW)による「シアトルのハントホテル」展のプロジェクトに参加した。第二次世界大戦後に強制収容から帰還した日系人が、日本町にあったシアトル国語学校(1902年設立の全米最古の日本語学校で、現在のシアトル日本語学校)の建物をハントホテルと名付け、仮住まいとした1945年から1959年の歴史を掘り起こすプロジェクトだ。当時の写真はその多くが消失しているため、実際に居住した日系人の証言などから、アキさんの切り絵でその様子を再現した。

「当時を知らないから、こういう絵を描いてくださいって言われても大変なんです。まず、どんな服装だったのかがわからない。帽子ひとつにしても今の人たちとは違う。でも、探すと家族写真は割とあるんですよ。それよりも、生活風景の資料がない。何回も何回もスケッチを繰り返しました」。ハントホテル展の作品は1冊の本としてまとめられている。「新しい本の香りをかいだ瞬間、やって良かったという充実感に満ちあふれますね」

チャレンジングなことが好きだと話すアキさん。アーティストは少なからずそういうところがあるものだと続ける。

「これまでの自分の作品でいちばん好きなものを聞かれて『ネクスト・ネクスト・ワン』と答えました。ピカソがね、そう聞かれて『ネクスト・ワン(次の作品)』と言ったんですよ。次はもっとうまくやってやるという気持ちが、何かものを作る人には絶対にある。だから私も、ピカソをまねしてみたの。新しいことに挑戦するのは、大変ですけれど」と笑う。

コロナ禍での活動はどうだろうか。「ほとんど変わらないです。コロナ下の生活になってから絵がダメになったとか、描きづらくなったとかも一切ない。むしろこの機会にもっと作ろうと思いました」。

アート一色。意気込むその頭の中はいつも作品のことでいっぱいだ。切り絵にはX-ACTO(エグザクト)ナイフのNo. 11を愛用している。「1日に1回、ナイフを持って5分でもいいから指を動かさないと気持ちが悪いんですよ」。制作中はジャズや、最近ではスマートフォンからいろいろな朗読を聴くのがお気に入りだ。「友だちが天童よしみのCDをくれて、切りながら聴いてみたけれど、これは合いませんでした(笑)」

今が本当に楽しいと語るアキさん。「今までやってきたこと、学んだことを毎日楽しめるのは幸せなこと。このままずっと続けていきたいですね」

 * * * * *

曽我部アキ: 静岡県出身。ベルビュー在住。1978年の渡米後、プロのアーティストとして活動開始。ワシントン州内30以上の公立校に作品が展示されているほか、パイクプレイス・マーケットの壁画、宇和島屋シアトル店エントランスの鉄塔など、パブリック・アートも数多く手がける。ベルビュー美術館のアート・フェアには1983年のエントリー以来37年連続で選出(2020年はコロナ禍のため開催中止)。姉妹紙『北米報知』にて1998年より「今月の切り絵」コーナーを持つ。www.akisogabe.com

 

* 本稿は、シアトルの生活情報誌『Soy Source』(2021年2月21日)からの転載です。

 

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