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外国人になった日本人の気持ち、終わりのない長い旅 - その2

妙に懐かしさを感じる、ふるさと日本の何げない日常

その1を読む >>

国籍さえあれば、日本人として信用できるのか

記者コラム・在日ブラジル人にも10万円支給を》のコメント欄を読んでいて気になったのは、在日外国人に対して、永住組と短期滞在者を一緒くたにしている人が多く、また、国籍に対する純粋な思い込みが強いことだ。

たとえば、次のような書きこみだ。

《ていうか外国人ってことは国籍が外国にあり、その外国に国民を守る義務が発生するんだろうから、そういう人は本国にお帰り願えばいいだけじゃないの?
納税してる/してないは日本に滞在するために必要な代金だと解釈すればいい。
外国に国籍のある人をそこまで日本政府が守ってやる必要性ないでしょ。
そこまで外国人に媚びる必要ない。あくまでも日本政府が守らなければいけないのは「日本国籍をもった日本人」だけだと思います。(中略)
この記事を書いた筆者は考え方がズレてるし、発想が図々しい。生活できないなら本国に帰ってください》

《マイナンバー導入した意味ないよね。
外国人の保護は自国がやるべきで、日本が負うべきことではない。
納税してようが、日本国籍をもたないのだから》

このような書きこみをする人は、在日外国人の裏返し「外国人としての日本人」の気持ちが分からない人だと感じる。

外国に住んでいる日本人には、仕事やいろいろな都合でその国に帰化している人もたくさんいる。だが、それ以上に日本国籍に誇りを持って、それを保持し続けている人もいる。「遠隔地ナショナリズム」的な現象であり、日本の日本人以上に日本人であることに誇りを持っている移住者はブラジルにも多い。

同じ現象は、日本に住んでいる外国人にもあるだろう。つまり、「日本という国が好きで永住したいが、できるだけ国籍は元のままでいたい」というケースは多い。

「国籍」は生まれながらについてくる基本属性だ。対して「外国人」という属性は、幼少時に親に連れて行かれた場合もあり、好き嫌いを問わずに後から身につけた属性だ。だが、帰化することができるから、国籍だってその人の精神性、アイデンティティを現しているとは言いがたい。

むしろ、国籍を過信することは怖い。国籍を持っているからといって、その人が「心まで100%日本人」であるとは限らない。

たとえば20年ほど前、当時、サッカー日本代表をしていた某ブラジル人サッカー選手(日本国籍)を取材した。彼が里返りした折、サンパウロ市で会った。

仮にも日本代表選手なのだから、てっきり日本語で取材できると思って話しかけたら、「ここはブラジルだから、俺はブラジル人。ここでは日本語はしゃべらないから、お前の方がポルトガル語で質問しろ」と言われた。

彼は二重国籍だったから、彼の言い分にも一理あると思い、ポルトガル語で取材した。だが、なにか釈然としないものが残った。彼はもちろん日本では「日本人」と言われている。

国籍があれば日本人として信用できるのではない。国籍は一つの判断材料にすぎない。大事なのは日本のことがとにかく気に入っており、永住する気持ちがあるかどうかだと思う。


映像化してほしい『血の記憶』

血の記憶』(麻野涼、文芸社文庫、2020年)

クアレンテナ(検疫)のおかげで、『血の記憶』(麻野涼、文芸社文庫、20200年)という興味深い社会派ミステリー小説を読んだ。奇しくも在日外国人が主人公になっていた。

外国人の血が入ったような特徴のある容貌と、笑いを誘う軽妙なコメントでバラエティ番組の人気者、モデル出身の若い女性タレントである主人公SUMIREは、赤ん坊の時に渋谷区の病院前に捨てられているのを保護された。「私には両親の記憶がまったくありません」という謎の出自をもっている。

芸能界に入った理由も、「有名になれば両親が名乗り出てくれるのでは」という儚い希望からだった。

事件は、在日ブラジル人労働者がたくさんいることで有名な静岡県浜松市のスーパーで起きた。閉店間際に、アジア系外国人に地元のグローバル企業社長の娘と孫が拉致される。そこで出された犯人の要求は、よくある大金ではなく、「社長の左手を切断しろ」という理不尽なもの。

そこに1990年の日系人によるデカセギブーム開始時、2008年のリーマンショック時に、不自然と思われる左手や左手の指を切断する重大事故があちこちの工場で起きていた本当の出来事が重なり、犯人像が徐々に明らかにされていく。

サンパウロの国際空港で別れを惜しむ訪日就労者と留守家族。デカセギブームを報じる2018年5月21日付『エスタード』紙

SUMIREの父親が同グローバル企業で働いていた外国人であることが分かり、彼女があるニュース番組でその事件をコメントしたのを犯人が見て、驚きの行動に出る。そこからストーリーが急展開し、予想外の結末に繋がる。

物語には、東京の六本木のバーで演奏をする黒人系日本人ミュージシャンBJという個性的なキャラクターも登場する。実在の人物がモデルになっており、進駐軍の米兵と日本人女性の間にできた混血児を預かるエリザベス・サンダース・ホーム(神奈川県大磯)育ちの黒人系日本人だ。

仲間の8人の孤児がブラジル・パラー州のトメアスー移住地にある第2同ホーム(聖エステファニー農場)に1963年に移住したのを見て、「自分もブラジルへ」と夢見るが、政府がビザを出し渋るなどの問題が起きて、移住を諦めた。

最後は、拉致現場とテレビ局のスタジオが混然となったラストには、手に汗にぎらされる。

ぜひ実在の売れっ子アイドルを起用して、映画やテレビドラマ化してほしいストーリーだ。

「在日」と言われる人々は、韓国人や中国人ばかりではない。外見や国籍では簡単に測れない「多彩な日本国住民」の群像が、『血の記憶』にはちりばめられている。

TBS開局60周年記念『99年の愛 〜JAPANESE AMERICANS〜』(2010年)、NHK放送80周年記念・橋田壽賀子ドラマ『ハルとナツ 届かなかった手紙』(2005年)など、戦争前後の日系人の歴史を描いたドラマや映画は作られている。

だが「今現在の在外邦人」に関して、ドキュメンタリーばかりでドラマにはなっていない気がする。「外国人になった日本人」が何を思い、考えているのか。グローバル化したなにげない日常、それを結晶化させた文章、映像を発表する人に出てきてほしい。

「外国人になった日本人」が容易に想像できれば、「日本国内でどう外国人を扱えばいいか」と言う、良い意味での日本らしい方式が生まれるのではないか。

『血の記憶』のような日本永住を決意した外国人を主人公にした物語や、外国に永住をする在外日本人のドラマをもっと作り、グローバル化した現実、日本人も外国人になるという事実を描き、日本の一般常識に織り込んで欲しい。

 

* 本稿は、「ニッケイ新聞」(2020年5月5日)からの転載です。

 

© 2020 Masayuki Fukasawa / Nikkey Shimbun

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