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初期日系移民の柱、シアトル邦字紙の代表『北米時事』 - 戦前の北米報知の歴史 -

1917 年12 月23 日夕刊。日本や世界の情勢を伝える記事や、クリスマスとは何かを説明する記事も見られる。

移民コミュニティー形成の中で欠かすことのできない情報共有の場。現在もさまざまなメディア媒体が情報発信の場となり、コミュニティーを支え続けている。シアトルの日系社会が形成された20世紀初期、日本語新聞は日系移民唯一の情報機関として大きな存在感を誇った。

日本郵船会社による新航路が開かれ、領事館もタコマから移転するなど、大きな成長を遂げた1900年前後のシアトル日系社会。コミュニティーの隆盛に合わせ、1890年代後半から次々と邦字新聞、雑誌が創刊されている。その中で最も大きな規模を誇ったのが『北米時事』紙だ。ピュージェット湾地域のみならず、ヤキマ、スポケーンなどノースウエストの日系コミュニティーに支局を置き、各地の活動を伝え続けた。

有馬純達著『シアトル日刊邦字紙の100年』によると、北米時事は「志の高い新聞」、「ゴシップ本位でない硬派の新聞」との評価を得ていたという。スタッフの中には著名人の名前もあり、第二次世界大戦前に外交評論家として活躍した清沢冽は、タコマ支部でジャーナリストとしての経験を積んでいる。

1902年9月1日創刊。米国で3紙目となる邦字日刊紙で、発行人は隈本清、ほか出資者があり、会社は現在のシアトル日本町内にあった。創刊時は6ページ、1905年に8ページに増刷。翌年新年号では32ページ、5千部を発行するまでに成長した。1913年に入ると、同紙発行の中心となる有馬一家が経営を担う。ポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、印刷部数は6千。1918年には英語面の掲載も始まり、息長い発行が続けられた。

同じく1917 年12 月23 日夕刊の広告欄。魚屋、菓子屋、靴修理屋、銀行、レストラン、ホテル、英語学校など、様々な業種の広告が並んでいる。

第二次世界大戦で日米関係がさらに険悪になるまでに有馬一家の多くは日本帰国を選択。米国に残った有馬純雄が発行人を務めたが、日米開戦でFBIに検挙されてしまう。一方で、リーダーを失った北米時事は緊迫する日系社会に従業員が力を合わせ記事発信を続けた。当時は検閲もあったのだろうか、英語面を1面に移し、日本語は2面から始まっている。日本語紙面の下には紙面発行を継続すべく、社告で支援を呼び掛けている。

廃刊は1942 年3 月14 日。39 年半、激動の日系移民社会の中心として1万2278号を発行した。当時のシアトル・タイムズ紙によると、印刷部数は9千部で、シアトル地域の日系人口を上回っていた。従業員は約50人。第二次世界大戦後のコミュニティー再生の中で生まれた北米報知紙の創刊時の中核を担うスタッフも含まれる。

北米時事はワシントン大学スザロ図書館のマイクロフィルム、もしくは同大学と北米報知財団による共同プロジェクトで行われたオンラインアーカイブで見ることができる。

(敬称略)

 

*本稿は、シアトルの生活情報誌「ソイソース」(2017年5月26日)からの転載です。

 

© 2017 Sou Source / Shihou Sasaki

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