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バンクーバー朝日:知られざる殿堂メダリスト家族の捜索

(左から)バンクーバー朝日チームの唯一の生き残り選手ケイ上西さん、筆者、従兄弟の英洋と従姉のイボンヌ

私、嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ちました。大学卒業後に東京の国際海運会社に勤めることとなり、サラリーマン人生のほとんどを東京で暮らしてきました。そして、今から約10年前に定年を迎えたのを機に、家族の歴史と足跡を辿りはじめました。

1907年に私の祖父は日本からバンクーバーへ移り住みました。その数年後に、祖父は日本に残していた家族全員をカナダへ呼び寄せました。長男の正一を含む3人息子がカナダへ渡航したのはこの時です。その後、私の父フレッド(Fred)義雄は1914年にバンクーバーで生まれ、育ちました。

私は、伯父の正一が、伝説の野球チーム、バンクーバー朝日の初代選手の一人であったことを偶々知りました。それをきっかけに、様々な資料を読みあさり、ブリティッシュコロンビア州(BC州)の歴史についても徐々に知ることとなりました。その後、バンクーバー朝日の元選手やその家族らを探し始め、約30名弱と連絡を取ることができました。

戦後の日本で生まれ育った私には、伯父がバンクーバー朝日の選手であったことを知るすべは全くありませんでした。とりわけ、1930年代末までに嶋家のほぼ全員が、日本へ帰国をしていたからです。 

伯父の正一が日本で亡くなった後に、1916年のバンクーバー朝日の選手集合写真が見つかりました。しかし、その写真は、私の従兄弟、嶋英洋が、今から10年ほど前にバンクーバーを訪問した際に、パット・アダチ(Pat Adachi)さんの著書「Asahi: A Legend in Baseball(朝日:野球における伝説)」に出会うまで、特に注目されることなく、家に放置されたままでした。その本の中に、1915年に撮った最初のバンクーバー朝日選手の集合写真があり、そのなかに、伯父正一の姿があったのです。これは、嶋家全員にとって“大きな驚き”でした。

最初のバンクーバー朝日野球団、1915年頃 (NNM TD 1113 エド・キタガワ・コレクションより)。田端賀一選手は前列右から2番目、児玉末吉選手は2列目左から2番目。

2005年、バンクーバー朝日はその功績が認められ、BC州のスポーツ殿堂入りを果たし、朝日チームの74名の選手が殿堂メダリストとして名を連ねることになりました。これはバンクーバー朝日の歴史的意義が高く評価されたことを示す出来事でした。しかし、殿堂入り選手へのメダルの授与は迅速には進みませんでした。元選手や家族との連絡が取れず、約25名の選手へ殿堂メダルが授与されなかったのです。その一人が伯父の正一でした。殿堂入りから約10年もの間、これら選手の家族探しは停滞していました。

私は、1914年のバンクーバー朝日創設から100年を経た2014年10月に、日系博物館(Nikkei National Museum)及び殿堂を訪れ、窓口のジェーソン・ベック(Jason Beck)さんから、正一への殿堂メダルを代理受領しました。その場には、グレース・エイコ・トムソン(Grace Eiko Thomson)さん(映画「バンクーバーの朝」”の歴史コンサルタント)、リンダ・レイド(Linda Reid)さん(日系博物館の学芸員)、私の息子の雄吾、従兄弟の英洋、従姉のイボン(Yvonne)が同席しました。

グレース・エイコ・トムソンさん(前列左)とリンダ・レイドさん(後列左)

以来、私は殿堂メダルを未受領の元バンクーバー朝日選手と家族を探してきました。折しもチーム創設100周年にあたる2014年に発足をした新バンクーバー朝日の発起人の一人で日系人のエミコ・アンドウ(Emiko Ando)さんからも、それら家族探索への協力を申し出ていただき、大いに成果を挙げていただきました。

また私は「バンクーバー朝日物語」(岩波書店)の著者である後藤紀夫さん、バンクーバー朝日選手の家族の方々、とりわけ松宮哲さん(初期のバンクーバー朝日の松宮外次郎会長の孫)とも連絡をとりました。これらの方々のご協力のおかげで、未渡しメダリスト家族を短期間で見つけることができました。

カナダの新聞「Vancouver Sun」のインタビューにおいて、殿堂のベックさんは次のように述べました。「嶋洋文さんは日本に居ながらも、選手の家族探索活動に於いて、大きな動きを果たしている。彼は、あたかも殿堂日本支部のようだ。彼と仲間のお陰でバンクーバー朝日選手の全体像が良く見えてきた」。

現在、6名の未渡しのメダリストは下記の通りです。(丸括弧内は、バンクーバー朝日に所属をしていた年)。

  • K. Endo [K. 遠藤] (1938年)鳥取県出身(推定)

  • Tashiro Omoto [尾本太四郎] (1929年~1932年) 滋賀県出身

  • Barry Kiyoshi Kasahara [バリー笠原清] (1919年~1923年)
         横浜出身

  • Yuji Uchiyama [内山雄治] (1918年~1921年) 新潟県出身

  • Yoshio Miyasaki [宮崎よしお] (1925年~1926年) 出身県不明

  • Dr. Henry Masataro Nomura [野村政太郎] (1919年~1921年)
         東京都出身 (バンクーバー朝日会長、日本遠征団団長)

私と松宮さんは、上記の6名以外にも、姓は知られていたものの名前が不明だった初代バンクーバー朝日選手2名、Tabata選手とKodama選手の調査を進めました。当時の新聞記事を調べ、日系人の人脈を辿った結果、彼らは、田端賀一(Gaichi Tabata)と児玉末吉(Suekichi Kodama)であることが判明しました。その新発見をうけ、殿堂は、二人を殿堂入りバンクーバー朝日選手として正式登録しました。

ただし、ベックさんによると、両選手の家族に既にメダルが授与されたかどうかの記録が無く、殿堂メダルを授与できるかどうか不明というのです。

そこで、私と松宮さんは、両選手の家族を探し始めました。その後、児玉選手の娘と連絡をとることができ、また、田端選手の家族についても新たな情報を得ることができました。

田端選手の息子のタカシ・ピーター・タバタ(Takashi Peter Tabata)さんは、2016年に亡くなっていました。タダシ・ピーターさんの娘、トミ・タバタ(Tomi Tabata)さんも2013年にカナダのバーリントンで亡くなっていたことが分かりました。トミさんには姉妹のジョディ・エンライト-タバタ(Jody Enright-Tabata)さん(夫はロビン(Robin)さん)、ロリ・タバタ(Lori Tabata)さん(結婚名不明)、シャリ・タバタ(Shari Tabata)さん(推定未婚)、及び、二人の娘さんコートニー・タバタ(Courtney Tabata)さんと ダニエル・タバタ(Danielle Tabata)さんがいることがわかりました。しかし、いずれも連絡先が不明なので、これら田端選手の家族の連絡先を引き続き探しています。

田端賀一選手の家族の連絡先について、ご存知の方はぜひSevenseas1990@hotmail.co.jpまでご連絡をお願い申し上げます。

 

* 本稿は、「Nikkei Images」 (Vol 23, No.1)に英語で掲載されたものを日本語へ翻訳したものです。

 

© 2018 Yobun Shima

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