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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/9/18/yuriko-barrow/

大林百合子 バロー:生涯の歴史

編集者注: 「ヴィッキー」ユリコ・バロー (旧姓オバヤシ) は、69 歳のときにこの生涯を執筆しました。ヴィッキーは 2005 年 6 月 25 日に 74 歳で亡くなりました。この生涯を日経イメージズに提出したのは、ヴィッキー・バローの娘であるホリス・ホーです。ホリスは、わかりやすくするために名前を追加し、物語に関連する母親から聞いた事実を 2 つ簡単に補足しました。

* * * * *

私の父、大林房次郎は、1906 年に日本の鹿島からカナダに移住しました。彼はなんとかラット ポーテージ製材所に職を見つけました。5 年間の長く厳しい労働の後、十分なお金を貯めて日本に戻り、私の母、松本豊と結婚しました。二人はカナダに戻り、定住し、ブリティッシュ コロンビア州バンクーバーのキツラノ地区に定住しました。

1947 年以前のヴィッキーの両親、大林房次郎とトヨ。

私の両親には 9 人の子供がいました。4 人の息子と 5 人の娘です。私は 8 番目の子供で、1930 年 9 月 8 日にビクトリア ユリコ オオバヤシとして生まれました。私たちは全員、助産婦の助けを借りて、バンクーバーのウェスト 2 番街の自宅で生まれました。

母と父は仏教徒で、私たちはみんな定期的に教会に通っていました。両親は温かく思いやりがあり、家族の絆を強く保つことの大切さを私たちに教えてくれました。両親はもうこの世にいませんが、私たちは今でも家族としてとても仲が良いです。

バンクーバーでは、両親は長年の懸命な努力の末、1661 West 2nd Avenue に 2 階建て 10 戸のアパートと、貸し家を購入することができました。家族が増えるにつれ、父が壁を壊して、私たち家族はアパートの 3 戸に住みました。両親はまた、ブリティッシュコロンビア州内陸部へ移転する前、20 年間この建物で理髪店を経営していました。

第二次世界大戦が始まると、父はただちにゴスネル(アルバータ州ジャスパーの北 50 マイル)に鉄道で働くよう命じられました。母は 1942 年 9 月まで自分と子供たちを養うために残され、その後、内陸部に点在する多くの収容所の 1 つであるブリティッシュ コロンビア州ニューデンバーに移されました。

1942 年 3 月に、すべての日系市民のさまざまな収容所への避難が始まり、1942 年 10 月 15 日に完了しました。

1942 年 9 月、私が 12 歳の誕生日を迎えた直後、母と兄弟たちはニューデンバー行きの列車に乗りました。当時、私にとっては冒険のようでした。母にとってこれがどんなに大変なことだったかは、まったく知りませんでした。後年、私は、この試練の間に両親が経験した苦悩、屈辱、痛みに気づき始めました。安全な環境から引き離され、将​​来何が起こるかわからないというのは、まったく悲惨なことだったに違いありません。彼らが計り知れないほど苦しんだことは、私も知っています。

ニューデンバーで、私たちは9か月の別居を経て、ついに父と再会しました。父は大工仕事が得意だったので、ニューデンバーに派遣され、住居となる「小屋」の建設を手伝っていました。

私はバンクーバーで幸せな幼少時代を過ごしました。ヘンリー ハドソン小学校に通い、毎日午後 4 時半から 6 時まで日本語学校にも通っていました。1942 年 9 月、キツラノ中学校に入学することを楽しみにしていましたが、叶いませんでした。

キャンプに落ち着くと、私たちは別の障害に直面しました。日本人の子供たちは普通の学校に通うことが禁じられていたのです。幸いにも、カトリックの修道女たちが私たちの窮状を知り、大きな家を教室に改造してノートルダム高校を開校してくれました。生徒数が多すぎたため、合同教会の宣教師たちも私たちを助け、地元のオッドフェローホールにレイクビュー高校を開校しました。私はノートルダム高校を卒業しました。

ニューデンバー在住の13歳のヴィッキー。

私たちが初めてニューデンバーに到着したとき、白人コミュニティーには多くの敵意がありました。このとき私は差別を痛感しました。言葉による虐待や精神的に傷つけられることはほぼ毎日経験しました。本当にトラウマ的な時期でした。

1945 年の春、戦争がほぼ終わったとき、政府は日本に行くかロッキー山脈の東側に移るようにという「本国送還命令」を出しました。父はカナダに残るという決心を固く守りました。

1945 年、ナカスプは木材伐採と製材業が盛んな町でした。父と兄弟は製材所で職を見つけました。母と弟と私はニューデンバーに残り、1947 年に私が学校を卒業して家族と合流しました。

ヴィッキーの母、トヨ・オバヤシの葬儀、1947 年 9 月、ブリティッシュ コロンビア州ニューデンバー。後列左からミサ、スー、コン、サリー、ロビー、フミ、ユリコ。前列左からフサジロウ、トキ。行方不明: 長男フサオ (日本在住)

1949年7月1日、ブリティッシュコロンビア州ナカスプで初代「アロー湖の女王」に選出(18歳)

1949 年 4 月 1 日、禁止令が解除され、日系カナダ人は西海岸に戻ることが許可されました。父は、個人の所有物や財産をすべて失い、以前の生活が完全に破壊されたため、バンクーバーへの移住をあまり望んでいませんでした。父は、ニューデンバーからわずか 30 マイル西にある小さな村、ナカスプに定住することを選びました。

ナカスプに初めて来たとき、私は完全に途方に暮れていました。学校の友達とその家族は国内のさまざまな場所に散らばっていて、私は彼らに会えませんでした。両親は私が同年代の子供たちと交流していないことを心配し、「ティーン タウン」に参加するよう勧めてくれました。これは私が受けた最高のアドバイスでした。メンバーが温かく友好的で、私を心から受け入れてくれたことに、私はうれしい驚きを覚えました。今日まで、私は 10 代の頃に出会った多くの人々と友人関係を続けています。私はその時に、夫のビル バローと出会いました。

ビル & ヴィッキー バロウ、結婚式の日、1953 年 1 月 29 日、米国ワシントン州スポケーン

1947 年後半、私は後に義理の両親となるバロー夫妻が所有し経営するリーランド ホテルに就職しました。彼らの息子ビルと私は 1953 年 1 月に結婚しました。当時、異人種間の結婚は極めて珍しいことでしたが、幸運にも私たちは両方の家族の祝福を受けることができました。私たちは結婚するためにアイダホ州コーダレーンに向かいましたが、ハワイ出身者でない限り、その州では異人種間の結婚は違法であるため、拒否されました。その後、異人種間の結婚が合法であるワシントン州スポケーンに行かなければなりませんでした。

私たちは二人の息子と一人の娘に恵まれました。そして今では二人の美しい孫にも恵まれています。

結婚後、私は子供たちが全員学校に通うまで働きませんでした。地元の食料品店で数年間パートタイムで働き、その後経営者が変わりました。その後、伐採会社の給与部門でフルタイムで働くために退職しました。この仕事に15年間勤めましたが、残念ながら会社が人員削減を始めたとき、私は解雇された大勢の人の一人になりました。その後、義理の妹が経営する紳士服店を手伝うようになりました。私はその店を22年間共同経営していました。1993年にその店を売却し、それ以来私は退職生活を楽しんでいます。

はい、私は人生を通じてたくさんの変化を見てきました。家族の洗濯に洗濯板を使っていたことを鮮明に覚えています。当時は今のような贅沢はありませんでした。テクノロジーは絶えず急速に進歩しており、私のような高齢者にとっては速すぎるため、そのペースについていくのは困難です。

1992年7月にカナダ建国125周年を祝う

※この記事は日経イメージズ第22巻第1号より転載したものです。

© 1999 Vicky Yuriko Barrow

カナダ 日系カナダ人 第二次世界大戦
執筆者について

「ヴィッキー」ユリコ・バロー(旧姓オバヤシ)は、日系カナダ人がブリティッシュコロンビア州西海岸から強制退去させられる前はバンクーバーで生まれ育ちました。彼女はブリティッシュコロンビア州ニューデンバーのノートルダム高校を卒業し、ノートルダム・ド・アンジェ修道女会の熱心な教師の指導を受けました。ヴィッキーは、抑留中にセント・ラファエル修道女から英語名のビクトリアを授かりました。

ヴィッキーはプロの女優になることを夢見ており、若い頃から才能ある俳優でありダンサーでもありました。彼女はニューデンバーの日系カナダ人強制収容所記念館で行われた日系カナダ人強制収容所の 60周年記念や帰国記念式典など、さまざまな祝典で頻繁に踊りました。彼女は人を笑わせる並外れた才能を持っており、虐げられた人々や恵まれない人々を深く思いやりました。彼女は人生を愛し、人生で出会ったすべての人を愛していました。ヴィッキーは 2005 年に亡くなりました。

2017年9月更新

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